8月6日(日)、大泉の勤労福祉会館で「大泉で戦争を考える」という企画を行います。地域の方々にお知らせしたところ、戦争を経験した方々からご連絡が。

その一人が当時、少年兵だったという方で、電話口から「あなたは本当の戦争がどういうものか知っているのですか?」という問いかけを頂きました。

今年で93歳になるその方のお話、印象的でした。彼は招集されて戦争に行った最後の世代(最も若い世代)で、1944年、19歳の時に召集令状を受け取ったそうです。既に二人のお兄さんが戦死していて、届いたときに最初に思ったのは、自分も生きては帰れない、戦争なんか行きたくない、ということだったそうです。でも、そうしたことは家族にも言えず、自身も家族も心では泣きながら、万歳を受けながら送り出されたとのことでした。実際、同じ村には招集を受けて、自殺した方もいたそうです。

最初は横浜近郊に配属され、本土防衛のため大砲設置を行ったとのこと。でも大砲は、40年前、日露戦争の時のものしかなく、戦争は負けると一緒に働いた仲間も皆わかっていたとのこと。その後、満州へ送られ、現地で終戦を迎えたそうです。

お話で印象的だったことの一つは「軍隊は汚かった」という言葉でした。少年兵教育という名目で壮絶ないじめが行われ、自らも経験したそうです。班長が部下に少年兵を殴らせたり、何時間も立たせたりすることも多く、それによって、同じ隊の方は自殺してしまったとのことです。彼自身も何度も殴られる中で「中国の人と話している方が、日本兵と話すよりよっぽどいい」と思っていたとのこと。何よりも辛かったのは何とか日本に戻ってきたときに、「なんで生きて帰ってきたんだ!」という周囲からの言葉だったとのお話も印象的でした。

また、趣味がカラオケとのことですが、若い方が軍歌を歌うのが耐えられないとのことでした。自分は戦争中、泣きながら軍歌を歌わされていた、それを、苦しみも痛みも知らない人が歌うのを見るのは嫌だと話していました。教育勅語についても、私の前で一部諳んじていただきましたが、暗唱できなければ殴られたから無理やり覚えただけのもので、そこには何の美徳も思いもない、と仰っていました。

「これまで、家族にも戦争のことを話すのはあまりにも辛いから避けてきた。でも、安倍政権になってから、戦争を美化することに恐怖を感じ、戦争の真実を伝えなくてはと思った」とのことです。彼にとって安倍政権は「戦争を知らない子ども」でしかなく、何もしらない人間が戦争を礼賛しようとする姿が耐えられなくなったとのことでした。ゆっくりと「誰も死にたくなかったんだ」ということ、そして「二度と戦争をしたくない」と話す姿、とても印象的でした。

今回の企画では、戦争を経験された方のお話に加えて、大泉に落ちた焼夷弾の破片や薬莢、当時配られた教育勅語、軍人訓、当時の写真などの展示や、戦争に関する絵本の読み聞かせも行います。

当日のプログラム 
13時開場
13時半~14時 絵本の読み聞かせ
15時~15時半 身近にある戦争 岩瀬たけし
16時~17時  トークセッション、大泉で戦争を考える

戦争は決して遠いものではなく、この地域の生活が戦争によってどう変わったか、また当時、どんな思いで生活をしていたのか、皆さんと一緒に学びたいと思います。1時から5時まで、好きな時間にお越し頂ければと思いますのでぜひお立ち寄りください。