3月26日、大泉教会で実施。4名のオモニ(お母さん)のお話に60名の方が参加。コロナの影響で数年ぶりとなる対面でのイベント、最初のテーマにどうしても取り上げたかったのが「差別」でした。コロナ禍で「異なる」者を排除する傾向が更に顕著になっている中で、朝鮮の方への差別の問題に向き合い、私を支えて下さった東海林勤先生を偲ぶとともに、差別の現状を共有することで少しでも抗いたい、そんな思いで企画しました。

最初に東海林先生の足跡を皆さんと共有し、私からは制度の開始時から朝鮮学校「だけ」が高校の無償化から除外されていること、朝鮮学校の幼稚園も無償化の対象にならず、朝鮮大学に通う学生はコロナの支援金の対象外になっている、といった実態を報告。伊藤朝日太郎先生からも無償化裁判についてわかりやすくご説明頂きました。

その後のオモニの方々のお話、印象的でした。以前と比べて理解が進んだのかという問いに「20年前、自分の成人式のときには、問題がありながらもまだ、チマチョゴリを着て、家から会場まで行くことができた。電車の中で、知らない方にとても綺麗ねと言われたりもした。でも今は、子どもが学校に通うときも、チョゴリだとハサミで切られたりするかしれないという恐怖が大きくてできない」とのこと。

また、高校生のお子さんのオモニの方は「朝鮮学校は無償化の対象ではないだけではなく、国からの補助もない、さらに高卒資格も取れないために、塾での勉強代や高卒認定を採るための通信教育など、家計の4割が教育費になってしまっています、なぜこれほどしんどい思いをしなくてはいけないのでしょうか」という声も。

お子さんが障害のある方も、公立の小学校であれば支援員など補助を受けられるのに、朝鮮学校ということで、自己負担するしかなかったとのこと。子どもに行うべき支援について、なぜ学校で差別されてしまうのか、本当に辛かったということでした。「私たちは日々下着をつけるように、上着をまとうように差別の中で生きている」という訴えに言葉もありませんでした。

日本人になればいい、日本の学校に行けばいい、という批判もありますが、それは自身のアイデンティティ(存在)に関わること。多種多様で何がいけないの?という点もちろんのことですし、そもそも多くの在日コリアンの皆さんは、植民地支配のもと強制連行・強制労働が行われた末、日本に定住をせざるを得なかったという歴史が背景も決して忘れてはいけません。もし今日から朝鮮語を話すな、自分の名前を名乗るな、それは精神的に死ねと言われることと変わりません、という言葉が印象的でした。

差別に関連して、練馬区でも外国籍を含めた住民投票条例の検討を求めたところ、区の回答は、反対の意見もあるので、検討しないということでした。しかし、本来であれば反対の意見があるからこそ、住民を説得し、実現するのが行政の使命のはずです。

今日の話を聴いていて、アメリカの公民権運動の言葉「Nobody’s Free Until Everybody’s Free」(誰もが自由にならない限り、誰も自由ではない)という言葉を改めて思いました。朝鮮学校の問題は私たち、マジョリティの問題でもあります。なんとしても地域で訴え続けていきます。