<3.11 あなたはどこでなにをしていましたか? 人物図書館に参加して>

東日本大震災からちょうど8年が経ちました。 3月10日には練馬で行われた反原発デモに参加し、3月9日には練馬図書館のイベント「人物図書館 in 練馬」に参加しました。「人物図書館」とは「ひとはだれでも一冊の本である」という考えで参加者の方がそれぞれお話をする、というもので今回は東日本大震災がテーマでした。一人ひとりから伺う311の経験がどれだけ皆さんの人生に影響を与えたか、という物語、とても印象的でした。私自身、3.11がなければ、議員を志していなかったかもしれません。私が人物図書館で話した内容をご紹介します。 震災が起きた日、私は東日本橋のオフィスにいました。地震の後、7時間をかけて大泉学園の自宅へと歩いて帰りました。ただ、スーツと革靴で長時間かけて歩くことの辛さよりも衝撃的だったのがテレビで流れてきた津波の惨状でした。同時に、ミャンマーやウガンダから日本に難民として逃げてきた人たちが「東北に支援に行きたい。自分も同じような思いをしたからわかる」と次々と申し出て行動に移す姿に、私も何かしなければ、とハッとさせられました。 そして数か月後、友人の外国人の方が立ち上げたボランティア団体の活動の一環で、石巻へとボランティアに行きました。そこで見た景色は一生忘れません。 津波の傷跡がまだ残る中、多くの家ががれきになっていました。玄関だったところには、その家で亡くなった方が大切にしていたのでしょうか、包丁だったり、お酒だったり、そして機関車トーマスのプラレール、ポケモンのぬいぐるみなどが飾られていました。 がれきの中、色とりどりに飾られたものを見て、亡くなった方の人生の一端に触れる、例えようのない感情でした。 その中で、私たちの仕事は、海水に浸かった家を壊すことでした。津波に襲われて残ったとしても、海水が柱を侵食してしまった以上、住むことはできません。そうしたお宅を大きなハンマーで壊す、そんな仕事でした。そして、案内されて、驚きました。それはあまりに大きく、あまりに奇麗な家だったからです。家の奥様が出てきていいました。この家は、去年、長年の夢をかなえてローンを立てて建てたばかり、自分たちの思いが詰まっているとのこと。この壁紙はこの色にこだわったの、子ども部屋は、子どもが大きくなっても大丈夫なように、こんな工夫をしたの。それは嬉しそうに話してくれるのです。そしてその話を聞きながら私たちは力いっぱいハンマーを振り下ろし、壁を叩き壊します。涙を流しながら、そしてもの凄い怒りを感じながら。でも一体何に怒っているのか、何をしたいのか、抑えようのない感情でした。そして、最後に「ありがとう」と言われたときに、号泣しました。 それと同時に、日本人でも自分のことだけで精一杯なのに、ともすると、言葉が不自由で震災弱者と言われたりする外国人の皆さんが、途上国での生活の経験や、体の屈強さなどの強さを生かして、頑張っている。大きな驚きでした。 どんな幸せでも一瞬で壊されてしまう。必要なことは地域の繋がりであり、普段から支えあえる関係を築くことだと思います。 また、「自主避難者」への住宅無償提供を打ち切られるなど、被災者の方々は非常に厳しい状況を余儀なくされています。練馬区でも、多くの避難者の方が生活しています。自治体として、しっかりと彼らの暮らしを支えていくことの必要性とともに、子ども達のためにも原発の無い日本を築いていくことが重要だと改めて感じました。(写真は石巻へボランティアに行った時のものです)