<コンゴ民主共和国(DRC)とエボラ熱、私たちができることは?「愛の対義語は無関心」>

JICAのコンゴ民主共和国(DRC)事務所の所長の柴田和直さんをお招きして現地での生活、日本の支援などについて話を伺いました。私も2011年に環境省のプロジェクトでDRCで活動していたので、お話を伺えることを楽しみにしていました。 DRCはダイヤモンドなどたくさんの天然資源に恵まれているものの、「平和だけがない資源大国」とも呼ばれています。長期にわたって紛争が続いており、この20年で世界で最悪の600万人もの命が失われています。そうした中で、コンゴで性暴力被害者の治療に取り組んできたデニ・ムクウェゲ医師に対し、ノーベル平和賞が本年授与されています。 柴田さんからは日常の暮らしや日本の援助のほか、特に地域で大流行しているエボラ熱の状況についてお話を伺いました。昨年の8月から再度流行しており、6月の段階で2140件、1440名が亡くなっているとのことです。エボラ熱の恐ろしいところは、致死率が高く、治療法が確定していないところにあり、感染をいかに封じ込めるかが鍵とのことです。日本からも緊急支援を行っているものの全く足りていないとのことでした。 私が仕事で訪問したのは首都のキンシャサだけでしたが、空港から町に向かう道の荒廃や、車に乗る私たちを刺す様な目で見つめていた今の自分の息子と同じ年くらいだったストリートチルドレンのこと、をはっきりと覚えています。 柴田さんからは私たちにできることとして、まずは問題を知ること、そして国際支援団体などへの寄付などを挙げて頂きました。 ムクウェゲ医師は東京大学で講演した時に次のように述べています。 「私たちは、消費者として、私たちが買う商品のなかにどのようなものが使われ、どのようなところからきているのかを確認する責務があります。それが、女性の破壊、人権侵害を経て作られたものでないかどうかを、販売する人に尋ねて確認して買うことが必要です。」 参加した方からも「『愛の対義語は無関心』という有名な言葉に則れば『知ることは愛すること』であり、自分で何ができるか考えたい」といった感想を頂きました。 地域でこれからもこうした会を行い、皆さんで一緒に考え、取り組んでいきたいと思います。写真はイベントの様子と私が現地で撮った町の様子です。  

日本最大のモスクへ!

先日、渋谷にある日本最大のモスク、東京ジャーミイの視察を行いました。 このモスク、創設は1917年のロシア革命に遡るとのこと。革命時、迫害を受けたトルコ系民族のタタール人(イスラム教徒)はシベリア、満州を経て、日本のこの地域にコミュニティを作ったとのこと。そして、1938年にこの地に初めてモスクを立てたそうです。そして、2000年に建て替えられたのが現在のモスクです。 私もパキスタンやヨルダンなどでいくつかのモスクを訪れていたのですが、日本のモスクは初めて。イスラム教もそれほど一般的ではないから、小さいのかな…などと考えながら一歩入ると、そこは別世界…あたかもイスラム教国に紛れ込んだような、完成度の高さに衝撃を受けました。 伺うと、この建物、コンクリートと水以外はすべてトルコから輸入したとのこと。床を覆うすべての大理石から、柱の一本一本まですべて海を渡ってきたそうです。そして、建築に携わった方々もトルコから来たそうで、100名以上が住み込みで働いたとのこと。 建物も、モスクは正面を中心に完全な線対称(シンメトリー)になっていて、正六角形の形になっているとのこと。また、天井の近くには、蜘蛛の巣を防止するために有効とトルコで思われているダチョウの卵が埋め込まれているそうです。 あまりの静けさ、荘厳さに圧倒されながら、ガイドの方の解説も伺いました。彼によると、日本ではイスラム教に対する偏見が強いが、それは「異文化」といういわば西洋的なフィルターを通じてイスラム教を見ているからとのこと。偏見を捨て、まっすぐ見なければ、異文化と向き合うことはできない、とのことでした。今の世界ではあまりに国家(nation state)の対立ばかりが取り上げられている、しかし、イスラムの教えにもあるとおり、国よりももっと根本的なつながり、に目を向けるべきだ、という指摘は印象的でした。冗談で言っていましたが、日本人はイスラム教徒といえば「豚肉を食べない、一夫多妻、テロリスト」といったようなイメージしかない、でも、本当に大切なのは、お互いの文化をしっかりと理解することである、とのこと。 練馬区でも登録済みの外国籍住民の方は1万7,000人を超え、区民の一人は外国人ということになります。そんな中で外国籍住民、特に在日の方を対象としたヘイトスピーチは近年急激に増加しています。こうした状況を改善して、真の多文化共生を実現するうえで一番基本となるのは、それぞれの文化を尊重し、理解することだと改めて実感しました。今後、地域で視察ツアーも企画したいと思いますのでぜひご参加ください^_^

2018-08-21T09:41:39+09:002017年5月16日|Tags: , , |

憲法記念日におもうこと

憲法記念日の今日、地元の大泉9条の会の皆さんと共に、大泉学園駅で憲法の大切さについて訴えました。憲法ができて今年でちょうど70年、今ほど憲法が揺らいでいる時期はないと思います。 私が政治家を志した際、掲げた目標の一つが、「地域から平和と人権、憲法を守る」でした。(詳細はウェブサイトをご覧ください iwasetakeshi.net)。これは、私がこれまでパキスタンやコンゴ、ウガンダなど、紛争国で国際協力を行ってきた中で、紛争が子どもを含む人々の一生にどれほど残酷な事態をもたらすかを見たからです。 ウガンダでの活動時に仲良くなった同世代の運転手の方が、ある時「僕は子どもの時、兵士だったんだ。そして、もちろん銃も撃ったよ。」そんな話をしてくれました。私が驚いて「人を撃ったこともあるの?」と聞くと「当然だろ、銃の先に何があると思っているんだ?」と怪訝そうに聞かれたのが衝撃的でした。 当時の私にとって、銃を撃つということは映画やゲームなど、遠い世界の出来事だと感じていたのですが、それがあまりに日常にあるということに気づかされました。 同時に彼が「テレビで見たのだけど、日本には軍隊がないんだろ、本当に羨ましいよ。戦争なんてどんな理由があっても絶対ダメだ。政府がどんなに美しいことを言ったって、人殺しに正義なんてない。そして、武器がある限り戦争はなくならないんだよ」と話していたのが印象的でした。 朝鮮半島やシリアなど国際情勢が緊迫している中、日本でも戦争に備えるべき、といった議論も行われています。でも、こんな状況だからこそ、日本こそが平和の大切さを訴えていくべきだと思いますし、そのためにも憲法は絶対に守らなければならない、と改めて思いました。 今年に入って、地域で憲法について考えるために、ゼミの恩師でもある憲法学者の樋口陽一先生、歴史学者で「大泉市民の集い」の発起人でもある和田春樹さんをお招きして講演会や勉強会などを企画してきました。 その中で、樋口先生は立憲主義について、「立憲主義は闇夜を照らす灯台のようなものだ。晴れているときはなくてもいいと思うが、それが行き詰った時にこそ、ましてや防風が吹きすさぶ時こそ灯台(立憲主義)の重要性が問われる」と言っていましたが、安保関連法制が成立し、共謀罪までもが可決されようとしている、まさに今が防風の中にあり、今こそ立憲主義の重要性が問われていると思います。 私たちも地域の中で、これからも憲法の大切さを訴えていきたいと思います。

2018-08-21T09:41:39+09:002017年5月3日|Tags: , , |

3年前の今日、私はまだエクアドルでした。

3年前の今日、皆さんは何をしていたか覚えていますか? フェイスブックで「過去のこの日」という機能があって、自動的に数年前の投稿が出てきます。何気なく見てみたら、ずいぶん昔のことのような、懐かしい気持ちになりました。 3年前の今日、私は南米のエクアドル、その中でも最も貧しいアンデスの山岳地域、標高3000メートルに位置する先住民の集落にいました。当時の仕事はJICA(国際協力機構)の専門家、地域の中でも、歴史的にも虐げられてきた、特に先住民の女性の収入改善を図ることでした。 当時の私がどうしても実現したかったこと、それは活動を通じて、地域の中でも、声を挙げられない方々、もっとも弱い立場にある方々の力になることでした。そしてその集大成が、エクアドルでの2年にわたる活動だったと思います。上からの視点で援助を「施す」というのではなく、現地の方と同じ目線で、一緒に悩みながら解決を図る。最初は余所者として、なかなか心を開いてもらえなかったですが、文字通り、同じ釜のごはんを食べて、たくさんの話を伺い、時間を掛けながら次第に距離が縮まり、最後はパートナーとして協力する。その中で、日本の一村一品運動を参考にしながら、地域の特産品であるチョチョ豆(ルピナス科の豆)を使ったパン作りを行ったり、地鶏の加工販売を始めたり、有機肥料を販売したりと泥まみれになりながら必死で活動していました。 当時の私、息子も誕生しておらず、もちろん議員にもなっていませんでした。当時とは場所も環境も全く違う、そんな生活を行っていますが、その根底にあるもの、「地域に根差した活動をすること」、「マイノリティも生きやすい社会こそが誰にとっても生きやすい社会となる」という思いは変わっていない、と改めて思いました。忙しさの中で、振り返ることがあまりできていませんが、自分の原点を忘れずに、感謝の気持ちをもって頑張らなくては、と改めて思う月曜の夜でした。(写真は現地での活動の様子です。)

予算特別委員会 練馬区の多文化共生、ついに一歩前へ

海外から日本に戻って、最も実現したかった事の一つ、それが、地域で国籍や民族などの異なる人々が互いの違いを尊重し、地域社会の一員としてともに生きる、多文化共生社会を実現することでした。 家の前にスコットランドの方が住んでいます。いつもユーモアがあって楽しい仲間なのですが、ある時、「20年以上も日本に住んで、税金も納めているのに、未だに住民として見られないで、いつまでたってもガイジンなんだ。」と悲しそうに話していたのが印象的でした。 こうした状況を改善するため、外国籍区民等の意向や要望をしっかり受け止めて区政に反映させる仕組みを作ることを、求め続けてきました。それが、ようやく実現に向けて動きだしました。 練馬区は、2012年に「練馬区国際交流・多文化共生基本方針」を作りました。この中で、「多文化共生事業の推進を図ること」を目的に、区民や区内の団体、外国人を構成員とする連絡会を設置することを掲げていましたが、全く進んでいませんでした。そこで、議会で何度も連絡会の設置を求めてきましたが、今回の委員会で終に、3月に準備会を起ち上げ、4月から連絡会を設置することが報告されました。 長いこと求め続けて、ようやく実現したこと、感慨深いものでした。 しかし、連絡会の役割をどうするかなど、まだまだ課題もあります。連絡会では、ただの情報交換ではなく、教育、福祉、防災など、幅広く扱うこととともに、外国人向けのウェブサイトの検証なども行うべきと主張しました。外国人区民を基本とした会議体とすべきとも訴えました。 川崎市や新宿区などでは「外国人市民(区民)会議」が設置されています。練馬区での連絡会も、外国人もともに生きる地域社会づくりのパートナーと位置付け、区政の多文化共生の仕組みとして機能させることを求めていきたいと思います。

トランプ大統領就任演説に思うこと 練馬区で私たちにできることは?

トランプ大統領の就任演説、英文の原稿を読みました。 大統領の就任演説、それぞれの個性や思いが込められていて、ブッシュ大統領の時以来、毎回チェックしていました。 最初の印象は、随分短いな…というもの。調べてみると彼の演説は合計で1466語で、近年の大統領の中では最も短く、直近の大統領では1977年のジミーカーター(1229文字)以来となります。ちなみにオバマ大統領の演説は2,406文字でした。 そして内容も、”Make America great again!” 「アメリカを再び偉大にする!」、”it’s going to be only America first”「アメリカだけを第一とする!」といった扇動的で短い言葉が並んでいます。今までの政治家の在り方に辟易した人々に訴えているのでしょうが、選挙キャンペーンが終わっても、まだこれか・・・とがっかりでした。 今回トランプ大統領が所信表明演説で歴代大統領としては、初めて用いた言葉のリストを見ましたが”disagreement(不一致)”, “disrepair(荒廃・破滅)” “sad(悲しみ)” “tombstones(墓石)” などの言葉が並んでおり、ここにもアメリカの分断を象徴しているのではないでしょうか?http://www.dailywire.com/news/12622/how-does-trumps-inaugural-speech-stack-numbers-aaron-bandler) こうした言動に対して、アメリカに住む友人は「トランプはいままで公にいう事が恥ずかしいとされてきた差別的な表現をあえて多用することで、それを言ってもよいのだというライセンスを人々に与え、憎悪や分断を高めている」と嘆いています。 しかし、こういった大統領が勝ってしまう状況があるのは動かせない事実。トランプが勝つなんてジョークだと言って真剣に取り合わなかった民主党やリベラル派(私たちも含め)の訴え方や行動にも、十分責任はあり、それに向き合って正すべきところは正さないといけないと思います。 また、大統領が就任して1時間後にはホワイトハウスのウェブサイトから性的マイノリティの人権に関するページが全て抹消されました。http://www.huffingtonpost.jp/techcrunch-japan/web_lgbt_whitehouse_b_14325296.html?utm_hp_ref=japan 他者や異なるものへの不寛容がアメリカをはじめ、世界に広がりを見せる中で、ここ練馬区においても昨年来、外国人の方に対する差別的な落書きが急増しています。 こうした中だからこそ、レディーガガが訴えた言葉、”Love trumps hate!”(日本のマスコミは“トランプ大嫌い!”と誤訳したようですが…”愛は憎しみを打ち負かす”という昔からあるイディオムです)のように、異なるものへの理解と寛容こそが社会の発展につながると信じて、地域における性的マイノリティや外国人の人権保障を含め私自身ができることを続けていかなければと改めて思いました。

早稲田大学での授業

先日、早稲田大学の社会科学部で授業を行いました。 早稲田大学の理事で社会科学部の教授でもある畑恵子先生にゲストスピーカーとしてお招きいただいたもので、昨年に続いて2回目。先生はラテンアメリカ研究の専門家で、授業のタイトルは「ラテンアメリカ研究2、民主化と開発」。大変人気のある授業で、今期は3年生と4年生、240名が受講しているとのことでした。 お話を頂いてから、90分で何をお話しようか、色々と考えたのですが、その中で、自分が同じ世代だったころ、就職活動をはじめとして、将来のことですごく迷い、悩んでいたんだった、と改めて思いだしました。そして、私が受講生だったとしたら、自分がどうやったら国際協力や多文化共生に関われるか、その方法を知りたかっただろうな、そう考えて授業に臨みました。 そこで、授業ではラテンアメリカを中心に途上国での援助の実情をお話するとともに、私自身の経験についても去年よりも具体的に話をしました。なぜ学生時代にエクアドルへ留学したか、なぜ3年で会社を辞めてボランティア(青年海外協力隊)に飛び込んだか(途上国の現状を知る中で、自分だけが日本で傍観することに耐えられなかった)、そして、開発コンサルタントとしてどんな仕事をしてきたか、そのうえで、どんな思いで練馬区議として活動しているかなどを正直に伝えました。 同時に、身近でできる国際協力として、難民が働くネイルサロン(ARUSHA)や、難民が経営するレストランの利用、ユニクロに使用済みの服を返却すると難民キャンプへ寄付されること、難民アシスタント養成講座等、様々な例を紹介しました。 授業では就活中なのか、リクルートスーツを着た方も多くいましたが、皆さん真剣に耳を傾けてくれて、授業の後に「自分は民間企業への就職が決まったけれど、これで自分の夢だった国際協力とは離れてしまうのか、とも思っていました。でもお話を聞いて、そうじゃないことがわかり少し楽になりました。」といって下さる方も。 学生と向き合うことで私自身も刺激を受ける、貴重な経験をさせていただきました。

2018-08-21T09:41:44+09:002016年12月21日|Tags: , , |
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