岩波書店の社長だった 岡本厚さんの講演会に参加した後、原発反対のスタンディングへ。
岡本さんのお話であった「私達は大きな転換点に立っている中で、相互の理解を開くための対話こそが必要だという指摘」その通りだと思います。講演の最中に行った311の黙祷、会場が静まる中で外から響く子どもの笑い声、何としても平和な世界を作らなければ、改めて思いました。

震災の日、当時の職場のあった東日本橋にいました。スーツに革靴のまま、7時間かけて大泉へ歩いたことを鮮明に覚えています。

地震の後、ボランティアとして妻や外国人の仲間と石巻へと向かいました。津波によって破壊された瓦礫の山が広がり、それぞれの家の玄関だったところには、人形だったり、包丁だったり、様々な思い出の品が置かれていました。当時8歳だった子どもが今年二十歳を迎える中で、避難を続けている方は3万人を超えています。自治体として、しっかりと避難されている方の暮らしを支えていくことの必要性とともに、子ども達のためにも原発の無い日本を築いていくよう、皆さんと一緒に訴えさせて頂きました。