所属する大泉の勉強会、地域に住む旧海軍の士官養成学校「海軍飛行予科練習生(予科練)」で学んだ方からお話を伺いました。その方は現在96歳、今も朝5時に起きて大泉中央公園で散歩をするのが日課とのこと。

その方のお話、壮絶でした。当時の予科練は海軍の士官養成学校で14歳半から17歳の少年が全国から数十倍の難関を突破しなければ入れず、地域からは彼だけが合格。非常に過酷な訓練を受け、零戦の操縦を練習していたとのことでした。戦況が悪化していくなかで、訓練でもとにかく前へ突進すること、絶対に背中を見せないことばかり求められるようになり、自身も死を覚悟し、家族に向けて遺書を書いていたとのことでした。

最終的には予科練で終戦を迎えたとのことですが、当時二十歳前後の少年がなぜそんなことをしなければいけなかったのか、当時の心境を聞くと「あなたたち、若い方にはわからないと思いますが、当時はそれが当たり前だったのです。私の先輩が皆戦死していく中で、私も当然死ぬものだと思っていました。そこに良いも悪いもありませんでした。」とのことでした。「何があっても絶対に戦争だけはしてはいけない。」という言葉、とても重みがありました。

戦争を体験された方の多くが鬼籍に入る中で、生の声を伺えるというのは本当に貴重で大切な機会だと思います。ぜひこうした方のお話を地域でもっと共有する機会を設けていきたいと思います。