練馬区が400世帯以上を立ち退かせ、大規模公園の整備を計画している「稲荷山憩いの森」(2.2ヘクタール)の地中に、旧日本軍の軍事施設跡があることが、練馬区の2022年度の調査で確認されました。その後、2024年度には詳細を把握するために、第三次調査を実施。稲荷山の地下には3つの部屋とそれを繋ぐ通路、そして約60畳分の巨大な空間が現在も存在することが明らかになりました。
稲荷山憩いの森の地下壕から60畳分の部屋を発見!
練馬区は稲荷山憩いの森の地下壕調査のために、2024年度に第三次調査を実施。その結果を情報公開請求で入手しました。今回の調査では地下から3カ所の部屋とそれそれの部屋を繋ぐ地下通路が確認され、昨年度の調査からは部屋の一つは幅4m、奥行き25m、高さ3.5mの100平米(畳60畳分)におよぶことが明らかになっています。
(出典:稲荷山憩いの森地下施設実態調査委託報告書 令和7年3月)
こちらが100平米におよぶ部屋の写真になります。天井や壁には一部剥離なども見られたとのこと。
(出典:同上)
誰が何のためにこの地下施設を使ったのか?
昭和20年9月に作成された大和田通信隊土支田分遣隊の引渡目録によると、土支田に地下送信機室、地下発電機室、半地下兵舎の3棟の地下施設があったとのこと。大和田通信隊は海軍の大和田通信所に所属していました。
(出典:同上)
大和田通信所について
一九三七年日中戦争が始まった年にアジア太平洋地域の受信専用の基地として大和田町(新座市)西堀に工事が始まり、一九四一年、太平洋戦争が始まる年に完成しています。その広さは現在とはほぼ変らず三〇万坪といわれていました。(中略)
ではどうしてこの大和田に通信基地をつくったのでしょうか。それは第一に武蔵野台地の中心にあたり、日本では稀にみる通信上で気象状態が安定しているところ、第二は平林寺を中心に大森林地帯で、道路も少なく東上線、西武線からも離れ、電波障害が少ないこと。第三に、畑が広がり農家が点在するだけで、住宅が少なく、電波障害がない地域であるなどの理由を挙げることができます。(中略)
一九四一年十二月八日、真珠湾からの暗号電報「トラ・トラ・トラ」を傍受したのもこの大和田通信隊とか、「ポツダム宣言」の受信もこの通信隊だと伝えられています。
(出典:http://shimin.camelianet.com/shiminweb/pre_11/Pre11-2a.htm)
なお、今回見つかった施設については、部屋1と部屋2が地下送信機室ないし地下発電機室、部屋3は土被りが浅いことから半地下兵舎であると想定されるとのことです。
安全性は?
これまでの調査においても、一部でコンクリートのひび割れや剥離、漏水などが認められていましたが、今回の調査においても天井部分では中性化が進んでいたとのこと。他方で強度は保たれており、現在、コンクリート建造物としては安定しているとのことです。
(出典:稲荷山憩いの森地下施設実態調査委託報告書 令和7年3月)
今後に向けて
今回の調査で、稲荷山憩いの森の地下に残されていた旧日本軍の巨大な地下施設の全容が明らかになりました。区は国に対して特殊防空壕跡として調査結果も報告しています。戦後80年が経過する中で安全性を確認するとともに、戦争遺跡として残していくことも検討すべきです。同地域は稲荷山公園の予定地で大規模な開発を行う計画ですが、まずは計画を白紙に戻して検証すべきだと考えます。これまでの訴えはこちらをご覧ください。