国際法学者の最上敏樹先生の著書『いま平和とは』岩波書店(第8版、2013年)を読んでいたとき、石橋湛山元首相のこの言葉に出会いました。
「昔から、いかなる国でも、自ら侵略的軍備を保持していると声明した国はありません。すべての国が自分の国の軍備はただ自衛のためだと唱えてきました。たぶん彼らはそう心から信じてもいたでありましょう。だが、自衛と侵略とは、戦術的にも戦略的にも、はっきりとした区別のできることではありません。かくして自衛軍備だけしか持っていないはずの国々の間に、第一次世界大戦も第二次世界大戦も起こりました」
第55代内閣総理大臣 石橋湛山
(在任:1956年12月23日 – 1957年2月25日)
最上敏樹『いま平和とは』岩波書店(第8版、2013年)92頁
※松尾尊兊編『石橋湛山評論集』岩波文庫(1984年)を引用
どの国も、自国の軍備は「自衛のため」だと説明します。おそらく、その言葉を口にする当事者自身も、そう信じているのでしょう。
しかし石橋湛山は、自衛と侵略の境界は、戦術的にも戦略的にも明確に区別できるものではないと指摘します。
実際、第一次世界大戦も第二次世界大戦も、それぞれの国が自国の行動を正当化するなかで起こりました。
「自衛」という言葉は、必ずしも平和の保証にはならない。石橋湛山の言葉は、そのことを鋭く突いています。
また、別に読んだ記事によると、1968年にソ連がチェコスロヴァキアへ軍事介入した際にも、日本では現在と同じように自衛力強化の声が高まったそうです。
そうした流れに対して石橋湛山は、「しかし、軍隊をもって防衛をはかるということは、ほとんど世界中の軍隊を引き受けてもやれるということでなければならぬ」と述べ、さらに「軍隊でもって日本を防衛することは不可能である」と説いたといいます。
さらに、日本国憲法第9条についても「痛快極まりなく感じた」と拍手を送り、深い満足を表明したのだそうです。
大日本帝国陸軍の少尉として軍務に就いた経験を持つ石橋元首相の言葉だからこそ、その重みはいっそう大きく感じられます。
いま、「自衛」や「抑止力」という言葉が当たり前のように語られる時代だからこそ、石橋湛山の警告に耳を傾ける必要があるのではないでしょうか。
平和とは何か。軍備とは何か。私たちは、そこからもう一度考え直さなければならないと思います。これまでの訴えはこちらをご覧ください。
