岩瀬事務所の夏の平和企画、「大泉で『戦争』を考える」、今年で3回目を迎えました。大泉に落ちた焼夷弾の破片や戦時中に配られた教育勅語、兵士が戦地に持参した戦陣訓などのほか、今年は戦争体験者からのお話を中心にプログラムを組みました。35度を超える中にも関わらず、会場は満員、50名ほどが参加されました。

体験者の一人は6歳の時、終戦を満州の奉天で迎えたとのこと。ソ連軍が町を占領し、生活が苦しかった彼女は、極寒の中で兵士が鼻をかんだハンカチを洗って販売する仕事をしていたとのこと。いまだに「ハンカチはいりませんか」というロシア語を覚えていました。1946年、ようやく帰国できるとなったときに、引き揚げ船の環境が劣悪だったために当時3歳の妹がなくなってしまったとのこと。しかし、死んだことが見つかると海に捨てられてしまうので、7歳だった彼女が背中で負ぶって、生きている振りをして佐世保まで連れ帰ったとのことでした。そして、港のすぐ近くの線路沿いの枕木で、頭からガソリンをかけて火葬をしたとのことでした。その様子は今でも脳裏にこびりついて離れない、今でも夢に見るという話でした。他のお二人も、校庭からB29に突っ込んでいく特攻隊を見て、同じ世代の若者がこうして死んでいくんだ、と思ったという話や、小学校に入ったばかりの時に戦死した山本五十六の肖像を見せられて、山本元帥に続け!と叫ばされたときに、なんで死ななきゃいけないんだ、と思ったという話など印象的でした。

近年では戦争を美化しようとする動きもある中で、実際に経験した方のお話はとても重いものでした。当時小学生から高校生だった人々が70年以上たっても癒すことのできない傷を負ったという事、そして戦争では特に一番弱い人から被害にあうということ、改めて思うとともに、こうした話はぜひ若い方々にこそ知らせていくことが大事だと感じました。