今年で6回目となる「練馬から戦争を考える」をオンラインで開催、戦争体験者のお話を伺いました。戦後77年を迎える中で、体験者の方も年々少なくなっています。今回も当初5名の方からご了解を頂いていましたが、コロナの影響や体調の不良など3名の方がご辞退されるなど、当日まで開催できるか心配していました。
今回お話を伺ったのは、終戦を樺太で迎えた90歳の女性と、終戦直後に沖縄で生まれた男性の方。北と南、それぞれの体験を伺う形に。90歳の女性は、樺太で生まれ、終戦直後に本土に逃げたとのこと。戦時中は白ロシアの方たちとも仲良く暮らしていましたが、戦争が終わった日にもうここにはいられないと言われ、父親、そして家財を残して稚内へと脱出したとのこと。当時13歳、自身が母親代わりになって小さい兄弟を連れて船に乗り、北海道では屋根のない貨物列車にのりながら避難したそうです。その後、父親も樺太を脱出、逃げた際には溺れた仲間を海に残さなくてはいけなかったとのこと。今も樺太のことを懐かしく思い出すとのことでした。
沖縄の方は、終戦直後に生まれたものの、アメリカ軍に占領されていた中で、生活に戦争が染みついていたとのこと。例えば、裏の山には不発弾の欠片がたくさん落ちていて、それを集めてお金を稼いだとのこと。地域でたくさんの「和同開珎」を拾えたが、それは亡くなった兵士の千人針として服に縫い付けたものだった、たくさんの骸骨を見つけたといった話も印象的でした。
お二人が異口同音に語っていたのは、戦争は終わっても、その痛みはいくら時間が経っても失せることはない、だからこそ絶対に戦争を繰り返してはいけないということ。
今年の平和式典で広島市長が引用したトルストイの言葉、「他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない。他人の幸福の中にこそ、自分の幸福もある」その通りだと思います。私たちにできることは過去のことを知り、二度と繰り返さないために地域でしっかりと向き合っていくこと。今後もこうした会を繰り返していくとともに、議会でも声を挙げていきます。