8月6日、市民の声ねりま主催で「大泉から戦争を考える」を行いました。 このイベント、大泉という地域の生活が戦争によってどう変わっていったか、また、人々が戦時中どんな思いで生活をしていたのかに焦点をあてることによって、今の社会の課題、なすべきことを考えたいという思いから実施したものです。 イベントでは戦争を経験された方のお話に加えて、皆様にご協力いただき大泉に落ちた焼夷弾の破片や薬莢、当時配られた教育勅語、軍人訓、当時の写真などを展示し、子ども向けに戦争に関する絵本の読み聞かせも行いました。 日曜の午後ということもあり、どれだけの方がお見えになるのか予想できなかったのですが、駅で挨拶をしていた方の親子や、チラシを見て関心を持ったという方など、初めてお会いする方を含めて100名近くがお越しになりました。 そして、地域の戦争体験者の話、強烈でした。参加者の一人は戦時中、陸軍で看護師として働いていたということで、手術室で器材も足りない中、たくさんの傷病兵の腕や足を切ったこと、また戦後は、進駐軍が占領する中で、売春をせざるを得なかった女性や性暴力の被害者となった女性の中絶手術を行った時の生々しいお話をされていました。こういった話をするのは初めてだけど、この機会が最後かもしれないので、共有してくださったとのことでした。また、東京大空襲を体験した方の話も、空が真っ赤に染まって、人々が逃げ惑う姿など、今もはっきりと覚えているとのことでした。その方は5歳の子どもながらに、「こういう光景を天皇陛下は何を感じてご覧になっているんだろう」と思ったとのこと。徴兵経験のある男性は、一番つらかったのは軍隊の中での壮絶ないじめ(抑圧構造)だったそう。何人もの仲間が自殺するなど、「権力は必ず狂う」と実感したそう。帰路でも「なぜお国のため死んでこなかった」と責められ、西武池袋線に乗って見渡す限りの焼け野原を窓越しに見ながら大泉学園につきました。すると、顔なじみの駅員さんがお茶をだしてくれました。「ふるさとに帰ってきたんだ」と、やっと実感したのだそう。安倍政権が暴走し始めてからやっと「自分が語らないと」と思ったと仰っていました。 今回改めて感じ、また私の当日のプレゼンでも皆さんに伝えたかったのは、戦争はある日突然始まるものではなく、日常の中で少しずつ近づいてきて、そしていつの間にか手遅れになっているということです。子ども達の絵本を見ても、少しずつ戦争の描写が増えていったり 、気が付かないうちに戦争に巻き込まれていく、その姿を実感しました。 現在の社会との比較でも、例えば、戦前の治安維持法を巡っても、国会では「決して拡大解釈をしない」、「個人の思想や研究に干渉することはない」というやりとりが繰り広げられていました。どこかで聞いたことがありませんか?2017年のいわゆる共謀罪をめぐっての国会答弁とほぼ同じ内容です。治安維持法の運用がその後どうなったかは歴史を見れば明らかです。「強い国を作りたい」「この道しかない」など、今の安倍首相や政権幹部の発言には、ナチのヒットラーや戦争に突入する前の日本の政治家の発言など、権力が暴走していく過程に民衆を説得する時に発せられたメッセージと似通っていることは、方々で指摘されているとおりです。 歴史をしっかりと見つめて、二度と戦争が起こらないようにする、それが私たちの使命だと思います。参加者の方と共に、今回のイベントを通じて私も多くのことを学ばせていただきました。ぜひ来年も行いたいと思います。