大泉わくわく講座⑤ 「地域から多文化共生を考える」行いました、そして次回カフェのご案内

11月19日、大泉わくわく講座を実施しました。今回の講座では、ノーベル平和賞を受賞したマララさんについての著書、「わたしはマララ」を日本語に翻訳した児童文学家で法政大学教授の金原瑞人さん、西田佳子さんをお招きして「わたしはマララから学ぶこと」、「翻訳から考える多文化共生」についてお話を伺いました。お二人のお話、伺いたいという方が非常に多く、定員の60名がすぐに予約で一杯に。当日も満席になり、大変な熱気でした。 お二人のお話、印象的でした。 金原さんはヤングアダルト向けの小説の翻訳も多くなさっているのですが、内向きの標準化教育の厳しくなる日本社会では、自主規制によって、海外のような表現(入れ墨や暴力行為を扱うもの)、特に若者向け小説では、行い辛くなっている、ということを肌で感じているとのこと。また、西田さんのマララさんに関するお話では、彼女は15歳の時に、タリバンに銃で撃たれたのですが、その後も、むしろタリバンやタリバンの子ども達にこそ教育を受けてほしい、と訴えたということが印象的でした。 私からは練馬区における多文化共生の現状についてお話しました。練馬区でも近年、国際化が急激に進んでいて、昨年一年間で新たに区民になった方のうち、4割が外国人です。一方で、行政の対応は遅れています。例えば、区には多文化共生を専門に扱う課はありません(例えば新宿では多文化共生課が存在しています。)。また、練馬区では、40年後の人口推計を出していますが、今年7月の区の予想は、外国籍住民は2057年の段階で2017年に比べて、600人増の17,000人と予想しています。しかし、11月1日の段階で、18,180人と既に40年後の予想を上回っている状況です。行政は「おもてなし」をはじめ、海外からの観光客の増加を目標に活動しています。しかし、現在必要なのは、既に地域で暮らす外国人といかに共生していくか、そのための政策を実現することが重要である、そのようことを皆さんとお話しました。 次回は12月9日、地元の大泉教会で、区政報告とともに地域の方をお招きしてカフェを行います。今回のカフェでは、津久井やまゆり園での事件に関連して地域における障がいを持った方との共生についてお話します。去年、神奈川県の知的障害者福祉施設に、元職員の男が侵入、19人を刺殺した大量殺人事件です。犯人は「障害者は不幸を作ることしかできない、障害者を殺すことは不幸を抑えることだ」と供述しました。この事件を受けてNHKが今年「亜由未が教えてくれたこと」という番組を放映しました。今回のカフェでは、この番組に登場した亜由未さんとお母さんの智恵さん、そして地域で支えてきた半田みさをさんをお招きしてお話を伺います。ぜひご参加ください!

2018-08-21T09:41:31+09:002017年11月20日|Tags: , |

広島の原爆投下の日、「大泉から戦争を考える」を実施して。

8月6日、市民の声ねりま主催で「大泉から戦争を考える」を行いました。 このイベント、大泉という地域の生活が戦争によってどう変わっていったか、また、人々が戦時中どんな思いで生活をしていたのかに焦点をあてることによって、今の社会の課題、なすべきことを考えたいという思いから実施したものです。 イベントでは戦争を経験された方のお話に加えて、皆様にご協力いただき大泉に落ちた焼夷弾の破片や薬莢、当時配られた教育勅語、軍人訓、当時の写真などを展示し、子ども向けに戦争に関する絵本の読み聞かせも行いました。 日曜の午後ということもあり、どれだけの方がお見えになるのか予想できなかったのですが、駅で挨拶をしていた方の親子や、チラシを見て関心を持ったという方など、初めてお会いする方を含めて100名近くがお越しになりました。 そして、地域の戦争体験者の話、強烈でした。参加者の一人は戦時中、陸軍で看護師として働いていたということで、手術室で器材も足りない中、たくさんの傷病兵の腕や足を切ったこと、また戦後は、進駐軍が占領する中で、売春をせざるを得なかった女性や性暴力の被害者となった女性の中絶手術を行った時の生々しいお話をされていました。こういった話をするのは初めてだけど、この機会が最後かもしれないので、共有してくださったとのことでした。また、東京大空襲を体験した方の話も、空が真っ赤に染まって、人々が逃げ惑う姿など、今もはっきりと覚えているとのことでした。その方は5歳の子どもながらに、「こういう光景を天皇陛下は何を感じてご覧になっているんだろう」と思ったとのこと。徴兵経験のある男性は、一番つらかったのは軍隊の中での壮絶ないじめ(抑圧構造)だったそう。何人もの仲間が自殺するなど、「権力は必ず狂う」と実感したそう。帰路でも「なぜお国のため死んでこなかった」と責められ、西武池袋線に乗って見渡す限りの焼け野原を窓越しに見ながら大泉学園につきました。すると、顔なじみの駅員さんがお茶をだしてくれました。「ふるさとに帰ってきたんだ」と、やっと実感したのだそう。安倍政権が暴走し始めてからやっと「自分が語らないと」と思ったと仰っていました。 今回改めて感じ、また私の当日のプレゼンでも皆さんに伝えたかったのは、戦争はある日突然始まるものではなく、日常の中で少しずつ近づいてきて、そしていつの間にか手遅れになっているということです。子ども達の絵本を見ても、少しずつ戦争の描写が増えていったり 、気が付かないうちに戦争に巻き込まれていく、その姿を実感しました。 現在の社会との比較でも、例えば、戦前の治安維持法を巡っても、国会では「決して拡大解釈をしない」、「個人の思想や研究に干渉することはない」というやりとりが繰り広げられていました。どこかで聞いたことがありませんか?2017年のいわゆる共謀罪をめぐっての国会答弁とほぼ同じ内容です。治安維持法の運用がその後どうなったかは歴史を見れば明らかです。「強い国を作りたい」「この道しかない」など、今の安倍首相や政権幹部の発言には、ナチのヒットラーや戦争に突入する前の日本の政治家の発言など、権力が暴走していく過程に民衆を説得する時に発せられたメッセージと似通っていることは、方々で指摘されているとおりです。 歴史をしっかりと見つめて、二度と戦争が起こらないようにする、それが私たちの使命だと思います。参加者の方と共に、今回のイベントを通じて私も多くのことを学ばせていただきました。ぜひ来年も行いたいと思います。

樹木医を迎えて 地域のみどりを考える 大泉わくわく講座を行いました

先日、「大泉わくわく講座 樹木医からみた大泉のまちづくり」を行いました。この講座、地域に関わりのある方をお招きして皆さんとともに、身近な問題について考えるというもの。第一回目は大学の恩師で憲法学者の樋口陽一さん、二回目は大泉での市民運動を長年にわたって支えてきた歴史学者の和田春樹さん、そして、三回目の今回は、大泉のみどりやまちづくりを考えることを目的に、地域で活躍する樹木医の安東信さんをお招きしました。 今回は特に、地域に密着した課題ということもあり、どれだけの方がお越しになるのか不安だったのですが、近所の方々をはじめ多くの方が集まってくださり、会場はあっという間に満員に。 安東さんのお話、とても具体的でした。 「目の前の通りのあの桜の木は藤沢周平の小説に登場していて…」とか、「デニーズの前の桜は一本だけ品種が違っていて…」といったように、何気なく通り過ぎていた身近な木々の歴史、また特徴を話す姿にすぐに惹き込まれてしまいました。 そして、緑とまちづくりの関係について。「練馬区は関越道路の真下につつじを植えたけれど、あっという間にすべて枯れてしまった。そもそも日当たりも水はけも悪いこんなところに植物を植えるという考え自体が間違っているんだ。地図で線を引くように、空地を見つけては植物を植えようとする、こんなやり方ではいけない。木は環境を選ぶことはできない。だから、木々にとって最適な環境を考えなくてはいけない。自分のことだけを考える、そんな社会ではだめなんだ。」という言葉、非常に印象的でした。 練馬区は「道路をつくればみどりが減るのではなくて、逆に、つくることでみどりが増え、また、万が一減らす場合には、必ず同等以上に増やすと。そしてまた、むしろ積極的に道路をつくることでみどりを増やして、環境を改善すると、そういった取り組みを進めていきたいと私は強く念願しております。」(平成27年、ねりまのみどりを語る会)と言っています。道路を作ってその両脇にみどりを植えて面積を増やす、こうした考えは、本来あるべきみどりとの共生、という観点とはなじまないと思います。 練馬区は23区でもっとも緑被率が高い自治体ですが、この数年間で急激に低下しています。そして、大泉は過去5年間で緑が大きく失われている地域の一つです。町が大きく変わろうとしていますが、地域の魅力であるみどりをしっかりと守りながら街づくりが進められるよう、これからもしっかりと取り組んでいかなければと改めて思いました。

2018-08-21T09:41:34+09:002017年6月14日|Tags: , , |

久しぶりの懇親会

今日はサポーターの皆さんとの定例会。 一年の振り返りとともに、これから事務所で行うイベントについてお話しました。皆さんとお話して実感したのが、皆さんのおかげで事務所を持つことができて活動の幅がとても広がったな、ということ。「いわせてカフェ」や法律相談会のほか、定期的に絵本の読み聞かせをしたり、ご提案をいただきながら「大泉わくわく講座」という市民講座を2か月ごとに開催したり。そして、今月からは、ドキュメンタリーなどを一緒にみながら議論する会も開催することになりました。こうして皆さんの力を頂きながら、一つ一つの活動を積み重ねて、少しでも地域に根差していきたいと改めて思いました。 その後は久しぶりの一品持ち寄りの懇親会。天気も良かったので、お庭で行いました。自家製のサングリア(お酒は完全に飛ばしてありました。)、卵を使ったポテトサラダ、野菜たっぷりの煮物、古代米、唐揚げ、焼きコロッケ、豚の煮つけ、肉まん、ミルクレープなど、みなさんがそれぞれ準備してくださったもので、どれも材料から体にいいものばかり(因みに私は今回は時間がなく、ズルして生活クラブのロールキャベツ(味付けは私が行いました…))、久しぶりに皆さんとリラックスさせていただきました。 6月10日には、大泉わくわく講座の第三回目として、樹木のお医者さん(樹木医)の方をお招きして、講演会「樹木医から見た大泉のまちづくり」も行います。ぜひご参加ください!

もはや沈黙するのもまた苦痛である 歴史学者 和田春樹さんを迎えて(大泉わくわく講座②)

先日、和田春樹さんをお招きした講演会「大泉から平和国家を考える」を行いました。おかげさまで今回の会場、大泉図書館も超満員、大変な熱気の中で行うことができました。 私の事務所では「大泉わくわく講座」(「泉」と「湧く」をかけた名前です☺)と題して、地域、地方自治に所縁のある方をお招きして、皆さんと一緒に地域の課題を学び合う機会を設けています。一回目は憲法学者で私の恩師でもある樋口陽一さんに「地方自治と憲法」についてお話いただき、二回目は歴史学者で、地域でベトナム戦争への反対運動を行った「大泉市民の集い」の代表でもある和田春樹さんからお話しを伺うことになりました。この大泉市民の集い、実は私の亡くなった義父も若いころから参加していました。 ベトナム戦争が始まってから、すぐ近くの朝霞の米軍基地にベトナム戦争の傷病兵が連日、先生が以前から住んでいらっしゃった大泉学園町の頭上を通ってヘリで運ばれるようになったとのこと。ロシア史を研究していた先生は、第一次大戦下でロシアの兵士たちがもう戦争がいやだといって革命に加わる話を論文に書きながら、現実に何もしないということが耐えられなくなり、キング牧師が暗殺された翌日から、ご夫婦で反対のビラを大泉学園駅前で配りはじめ、それに呼応した方々が集まって1968 年、「大泉市民の集い」が誕生したとのことです。そして、皆さんの活動もあって、二年後の1970年12月には野戦病院は閉鎖されたのです。先生が作成した「大泉学園地区に住む市民のみなさんに訴える」と題されたビラ、講演会でも配布したのですが、とても印象的でした。 「ベトナム戦争について、ジョンソン大統領はいう、『ベトナムにおける自由」のため、『民主主義のため」だと。だが、数百万発の爆弾によって押し付けられる『自由」とは何か、『民主主義」とは何なのか…私たちには、老いた両親と二歳の娘がいる。幸いにして健康な私たちの娘が彼女の祖父や祖母とたわむれているその頭上を、汚い戦争の戦士たちが運ばれていくのをみるのは、苦痛である。もはや沈黙するのもまた苦痛である。私たちはアメリカのベトナム侵略に抗議する。(一部抜粋)」 当時30歳だった和田先生が奥様とたった二人でこのビラをまいたことが活動の始まりだったと知り、改めて胸が熱くなりました。 先生のお話を伺ってから、私からは現在の状況について話をしました。世界を見ると、数日前、トランプ大統領が新型爆弾をアフガニスタンで初めて投下しました。この爆弾、MOAB(通称:Mother of all the bombs)「すべての爆弾の母」との名称で、最強の非核爆弾と呼ばれ、900メートルの範囲をすべて爆風でなぎ倒し、殺してしまうものです。この爆弾は、ベトナム戦争で使われた大型爆弾(デイジーカッター)の後継として開発されたもので、爆弾としてだけではなく、化学汚染をも引き起こし、さらに戦闘員、非戦闘員の区別無く無差別に殺戮する兵器として使われたものでした。 国内に目を転じても、最近、政府によって教育勅語に対する肯定的な発言が繰り返されています。稲田防衛大臣は「教育勅語の精神である道義国家を目指すべき」、安倍首相も教育勅語を園児に唱和させる森友学園の教育方針を、「大変すばらしい」などと評価していました。地方議会でも学校の道徳の授業で使うべき、という発言も出ています。しかし、教育勅語は天皇が臣民に授ける、という形で作られたもので、主権が天皇にあるという前提になっています。これは、憲法の基本的な理念に完全に反するものです。 そんな中、一筋の光が地域での市民の方々の活動だと思います。 これまで頑張ってきてくださった方、草の根で活動し続けてくださった方がいたからこそ今またこのような危機の時代においても、私たちが活動を続けてこれた。今回の先生のお話を伺って、改めて勇気づけられる、そんな気がしました。 次回の「大泉わくわく講座」は6月、次のテーマは大泉のまちづくりについて、樹木医の方のお話を通じて考える予定です。ぜひご参加ください!

2018-08-21T09:41:39+09:002017年4月17日|Tags: , , |
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