震災・原発避難者はいま…原発事故は終わっていない

「NPO法人福島こども保養プロジェクト@練馬」の講演会に参加。講師はジャーナリストの吉田千亜さんと母子避難をされた鹿目久美さん。震災から11年、いまだに多くの方が避難生活を余儀なくされています。鹿目さんは当時4歳の娘さんを連れて、福島から母子で関東へ避難をされ現在に至るとのこと […]

東日本大震災から7年が経過して思うこと

東日本大震災から7年、練馬で行われた原発反対のデモに参加しました。 地震の発生した14時46分、皆さんと黙とうをささげながら、7年前のことを改めて思い出しました。当時はODAのコンサルをしていて、職場のあった東日本橋にいました。スーツに革靴のまま、7時間かけて大泉へ歩いて帰り、これからどうなるんだろう、と家族のことを考えていたら、すぐにミャンマーやウガンダから日本に難民として逃げてきた人たちが「東北に支援に行きたい。自分も同じような思いをしたからわかる」と次々と申し出て行動に移す姿に、私も何かしなければ、とハッとさせられました。 その後、ボランティアとして妻や外国人の仲間と石巻へと向かいました。 現地の光景、はっきり覚えています。津波によって破壊された瓦礫の山が広がり、それぞれの家の玄関だったところには、人形だったり、包丁だったり、様々な思い出の品が置かれていました。 現地での活動は、津波の被害を受けた家を壊すというものでした。担当した家は、前年に建てられたばかり、外国人と一緒の私たちに対して、所有者である奥さんが感情を殺しながら、この壁紙はどんなこだわりがあるとか、この床を選ぶのは大変だったとか、説明をしてくれた後に、ハンマーで全て叩き壊す。私も友人も涙を拭きながら作業をしていました。それからもう7年。 先日、「ダキシメルオモイ展」で、原発事故によって避難している方のご経験を伺いました。彼女は私と同年代、事故の後、お子さんと二人で練馬まで逃げてきて現在に至るそうです。事故によって仕事も失い、家族もバラバラになったとのこと。声を詰まらせながら「最近テレビでよく『311を忘れない』と言っているけど、できることならもう忘れたい。過去のものにできればどんなにいいか」と絞り出すように話していたのが印象的でした。 復興庁が2018年1月にまとめた震災による避難生活者の数は約7万5000人。この2年で10万人以上減りましたが、プレハブ型仮設住宅での生活を余儀なくされている被災者が約2万人いるとのこと、また、親戚、知人宅に身を寄せている避難者も約2万人に上るといわれています。こうした中、震災後の避難生活による体調悪化、自殺などによる「震災関連死」は、この2年で200人余り増えているとのことです。 一方で、昨年には「自主避難者」への住宅無償提供を打ち切るなど、被災者の方々は厳しい状況を余儀なくされています。練馬区でも、多くの避難者の方が生活しています。自治体として、しっかりと彼らの暮らしを支えていくことの必要性とともに、子ども達のためにも原発の無い日本を築いていくことが重要だと改めて感じました。

練馬での3.11 多文化共生、原発問題、部落問題を考える

東日本大震災が発生して6年。 地震の後、妻や外国人の友人と石巻にボランティアへ行きました。私たちが訪問したのは、建てたばかりだったのに津波にあって、もう住めなくなってしまった家。奥様がこの壁紙はここで取り寄せて、この天井はこんなこだわりがあって、と説明を伺いながら、その壁を一枚一枚ハンマーで壊す。そんな作業をしながら、地震によって一人ひとりの生活がこんなにも変わってしまうことに衝撃を受けたのを今でもはっきり覚えています。 311を迎えて安倍首相は、震災から6年が経って、「節目を迎えた」としてこれまで毎年行ってきた会見を打ち切りました。しかし、現在でも全国で12万人以上の方が避難生活を続けていて、決して終わった話などではありません。 練馬区では昨日、震災に関連して多くのイベントが実施され、私もできる限り参加させていただきました。 一つ目は、武蔵大学のアンジェロ・イシ教授(社会学部)にご招待いただいた武蔵大学の白雉映画祭。ご自身も日系ブラジル人ということもあり、多文化共生に力を入れています。今回の映画祭では、311をグローバルな視点から見つめることをテーマにしており、日系ブラジル人の生活を描く「軌跡 在日ブラジル人の25年」というドキュメンタリーを見ました。この中では、南相馬でボランティアをする日系ブラジル人が登場したのですが、彼女は日本語は6語しか話せない、でも、大切なのは「向き合って心で話すこと」という考えで、活動を続けています。彼女は日本に来た時は、様々な差別を受け「ブラジルでは日本人として育てられたのに、日本に来て、自分が日本人でない」と感じ、来日したことに大変な後悔をしたそうですが、今はボランティアとして自分が誰かの役に立てていること、それが一番で、もしここで死ぬとしても、何の後悔もないとのことでした。 その後、ダッシュで練馬に行って「ねりまでもデモ」に参加。こちら、311にあわせて毎年、原発反対を求めて行進するもので私もできる限り参加してきました。今年は特に、自主避難者への住宅扶助が打ち切られるということへの反対を250名(主催者発表)の皆さんとともに、プラカードを持って練馬駅の周辺を行進しました。 そして、もう一度江古田に戻り、今度は部落問題を取り上げた映画「ある精肉店のはなし」(https://www.seinikuten-eiga.com/)の纐纈監督のお話を聞いてきました。監督いわく、「一番問題なのは、傍観者になってしまうこと」。それが部落問題だけではなく、外国人、原発や辺野古基地の問題など、すべての課題を象徴している気がしました。 それが終わってようやくお昼、といってももう6時。慌てて、近くのラーメン屋さんでかきこんで、私が属する「市民の声ねりま」の運営委員会へ。そこで皆さんと議会で起こっていることなどディスカッションをして、終わったのは10時。 寝ている息子のほっぺにチューしながら歯も磨かず爆睡しそうになりましたが、新たな学びがたくさん得られた一日でした。

「震災・原発避難者は いま part2」に参加して 区域外避難者への支援打ち切りについて

本日、私も会員となっているNPO法人 福島子ども保養プロジェクト@ねりまが主催した講演会「震災・原発避難者は いまpart2」に参加しました。この講演会、避難者の方の置かれている状況を知り、私たちに何ができるかを考えるものでした。 講演では特に、今年の3月末で福島県や国によって打ち切られようとしている、避難指示区域外の避難者(「区域外避難者」)の方に対する住宅の無償提供について伺いました。区域外避難者とは政府による避難指示のない地域から避難した方のことで全国に26,600人、そのうち練馬区には東京23区で二番目に多い135名(避難者全体で220名)が避難しているとのこと。こうした方への避難住宅の提供が今年の3月末に打ち切られるもので、2016年11月現在では70%の方が4月以降の住居が決まらず不安な思いでの生活を強いられています。 区域外避難者の方は子どもを被ばくから守りたいという気持ちで避難をしている方が多く、夫を福島に残し母子で避難していて、経済的に困窮している方も多くいます。しかも、東京電力からの定期的な賠償は全くなく、唯一のものとして避難住宅が提供されていましたが、これが打ち切られるというものです。 そもそも、国が設定した「避難指示地域」というのは、原発事故前の測定値0.03μ㏜/hに比べて127倍にのぼる3.8μ㏜/h(年間20ミリシーベルト)以上の地域であり、この数字に対しては、国連人権理事会の特別報告書の中でも1ミリシーベルト以上の地域は避難地域指定すべきだと指摘されています。(2013年5月24日 毎日新聞)。 国は上記の値でも人体に影響はないとしていますが、20年後30年後のことは誰もわかりません。白血病の人が増えた等のことがあったとしても、因果関係の立証が難しい中で、どちらにせよ国は否定するでしょう。 科学的に安全か安全でないかという、ずっと後にならないと分からない(厳密には後でも証明されようがない)議論よりも、一番重要な事実は、区域外避難者の方は、「事故が無かったら避難することもなかった」、ということだと思います。それまでの日常が外部的な要因で全く変わってしまったということは動かしがたい事実であり、現に、避難者の皆さんは元の地域に安心して住めないと感じているわけで、それが避難者の方の落ち度とどうして言えるのでしょうか。 住宅支援を打ち切られることによって、区域外避難者の方は、強制的な帰還か、避難の継続による生活の困窮のどちらかを選ぶことを余儀なくされています。 こうした状況に向き合うのは行政や東電の責任だと思います。 原発事故があった当時、お子さんが3歳だったという避難者の方からもお話を伺いました。30年の住宅ローンで家を購入したばかりだったが、家族が離れ離れとなり、経済的に困窮しているとともに、小学校にあがった子どもは、「過剰反応だ」といじめられたりすることを恐れて学校で避難していることも言えずにいるとのこと。お話の中で印象的だったのが、「子どものために」と思い活動してきたが、でも、このことが逆に子どもに負担を強いてしまっているのではないか、でも、このことを少しでも多くの方に知っていただきたいと思い頑張っている、ということでした。 私にも2歳の息子がいますが、もし同じ立場に置かれたとしたら、これほど強くなれただろうか、と考えると聞いていて涙が出そうになりました。 練馬区議会にも、福島原発事故による避難者が安心して暮らせる住まいの確保を求める陳情が出されていますが、審議がされないままの状態です。国や都が住宅支援を打ち切ろうとしている中、行政として責任を果たすために、その延長を議会でも求めるとともに、練馬区としても、独自の支援策を講じるよう、議会でも訴えていきたいと思います。

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