「護憲派の泰斗」樋口陽一先生をお招きして 地域での講演会

昨日(2月5日)、大学時代のゼミ(比較憲法)の恩師でもある憲法学者の樋口陽一先生を地元の大泉にお招きして講演会を開催しました。 樋口先生は『「護憲派」の泰斗にして憲法学会の最高権威』(集英社の紹介文)とも称されていて、私の妻の同級生が編集を担当した『「憲法改正」の真実』(集英社)など数多くの著作を出版されています。 地元大泉に樋口陽一先生をお招きしてお話を伺えるということ、私にとっては夢のようで、前日から緊張で食事も喉を通らない。。。そんな気持ちのまま当日を迎えました。 トランプ大統領就任にみるアメリカの政治から始まり、自民党の改憲草案への批判、明治憲法制定を巡っての議論など、非常に鋭い内容でしたが、とても穏やかで、ときにユーモアを交えながらのお話を伺っていると20年前の教室に戻ったような気持ちになりました。 先生の話で最も印象に残ったのが、デモクラシー(投票で世の中を変える仕組み)と立憲主義の関係について「立憲主義は闇夜の海を照らす灯台のようなものであり、晴れているときはなくてもいいと思ってしまうが、それが行き詰った時にこそ、闇の中でましてや防風が吹きすさぶ時こそ灯台(立憲主義)の重要性が問われる。」という話でした。 その後、私からは練馬区の地域における現状と課題として、政府が規定した“区域外”からの原発避難者の方への住宅支援が打ち切られようとしていること、区内でのヘイトスピーチ、差別的な落書きが急増していること、そして議会の中で少数の声が封殺されていることなど、お話させていただきました。 その後の質疑応答では、参加者の方からたくさんの声が。 印象的だったのが「護憲的改憲論」についての質問でした。 樋口先生の意見は、憲法と現実社会の中で、ぎりぎりのせめぎ合いをしながら、憲法は運用されてきた。例えば戦争について、言わば「良い戦争」と「良くない戦争」があるという理解を前提として、小泉首相はアメリカの戦争に理解を示したが9条があるからこそ、自衛隊を出すわけにはいかないとして踏みとどまった。護憲的改憲論というのは、(憲法を決して変えないという)外堀を埋めて、(改正はするが何を改正するか議論をするという)内堀だけで「憲法」を死守しようというもの。それが出来る力があればいいが、現状そうは思えない、とのことでした。 そして、「解釈改憲」についても質問が。憲法を原書の通りに解釈すれば、「一切の戦争をしない、一切の軍備を持たない」ということになるし、それが先生の立場でもあるとのこと。学者としては原書解釈を当然としてそこから下がらないということが重要だと思っている。安倍政権以前に憲法の解釈改憲を学者が認めていたとすれば、議論はそこがスタート地点になってしまう。学者が空虚空論を述べてきたことに意味がある、というお話しでした。 今回の開催にあたり、先生からの唯一の要望が「なるべく少人数で」とのことでしたので、とても残念でしたが、広くお声がけはできず、大泉学園町在住の歴史学者で東大名誉教授の和田春樹先生、9条の会、ママの会、元SEALDsのメンバー、明日の自由を守る若手弁護士の会、米軍基地の反対運動をされている方、大学でフランスの政治思想を教えている方など議員活動のなかで出会ってきた地域の方々にお集まりいただきました。 会の後、皆さんから講演への感想や先生へのメッセージをいただきました。 憲法で示されている「個人」の理念が置き去りにされ、経済に政治が消し去られていることがよくわかった、というご意見、こんな時代だからこそ、身近なところからできることをやりたい、というご意見、そして、何よりも樋口先生のお話を聞いて勇気づけられた、というご意見もたくさんいただきました。樋口先生や皆さんから力を頂ける素晴らしい時間でした。 また、先生に次回の講演についてもお願いしたところ、次回はもっと多くの方にお話いただけるとのこと。ぜひ第二回目の講演会、企画したいと思います!

2018-08-21T09:41:41+09:002017年2月6日|Tags: , , , |

歴史学者 和田春樹先生のお話を伺って

先日、「大泉市民の会」の新年会に参加しました。 大泉市民の会は、東京大学名誉教授の和田春樹先生を中心にベトナム戦争への反対を目的に60年代に設立された会。私の義母や亡くなった義父も若いころから参加していました。 会では、2月3日まで朝日新聞の夕刊に掲載されていた“人生のおくりもの わたしの半生”(全10回)などについて和田先生からお話が。この記事で最も印象的だったのが、ベトナム反戦運動を始めたきっかけについて。先生は以前から大泉学園町(私の家のすぐ近く)に住んでいたのですが、ベトナム戦争が始まってから、すぐ近くの朝霞の米軍基地にベトナム戦争の傷病兵が連日、頭上を通ってヘリで運ばれるようになったとのこと。ロシア史を研究していた先生は、第一次大戦下でロシアの兵士たちがもう戦争がいやだといって革命に加わる話を論文に書きながら、眼前の現実に何もしないということが耐えられなくなり、キング牧師が暗殺された翌日から、一人でプラカードを持ち米軍基地の前に立ち始めたということでした。「この戦争に反対する行動を、自分の場所でやらなくてはいけない」それがこの「大泉市民の集い」の始まりだったそうです。(因みにこの記事を書いたのは、私の大学の恩師で憲法学者でもある樋口陽一先生の息子さんとのことで、改めてご縁を感じました。。) 今日の会に参加していた方、当時高校生や浪人生だったという方々も、皆さん定年退職を迎えていました。しかし、安保関連法制を含め、今のままの政治ではいけない、孫たちのためにももっと頑張らなくてはいけない、という思いでデモや集会に今も参加しているとのことでした。 勉強会に参加するのは今回が三回目となりますが、自分が住む町で、これほど長く、そして強い思いをもって活動を行ってきた方のお話を伺うことができ、あらためて感動するとともに、皆さんのお話を聞いて、私ももっと頑張らなくては、と勇気を頂ける時間でした。

2018-08-21T09:41:41+09:002017年2月3日|Tags: , , |

焼き芋大会と新年会!

先日、家の庭で恒例の焼き芋大会を行いました。 この焼き芋大会、うち(妻の実家)で地域の方や子ども達と一緒に毎年行ってきたもので、今年でもう20年目くらいになります。ルールは簡単で、皆さん、自分の焼きたいもの(お芋やソーセージ、マシュマロ、リンゴ)などを持ち寄って、お話しながらたき火を楽しむというもの。 今年は近所の子ども達だけでなく、ママ友やパパ友、そしてその友達たちなどたくさんの方が集まって、あとで数えてみたら70名もの方が参加。それぞれ会うのは初めて同士の方ばかりなのですが、火の回りでどうやって子どもを寝かしつけするのが一番楽か(うちは抱っこ卒業の過渡期中で毎日ギャン泣き)できるかを語り合ったり、父親同士で、「ママがいい!パパやだ!!!」(ガビーン)|д゚」と子どもが騒ぎ出したときにどうやったら満足してもらえるか(笑)相談してみたり、すぐに仲良しに。しかも、実は家がすぐ近くだったり、大好きなレストランのオーナーのご家族だったり、普段は忙しくて、なかなか近所に住んでいる方と親しくなる機会を持つことが難しい中で、地域ならではの楽しい時間を過ごすことができました。ぜひ来年も行いたいと思います。 その後、私の所属する「市民の声ねりま」の新年会に家族で参加。支援者の方やスタッフの方が準備くださったご馳走を頂きながら、皆さんと現在の政治の課題や今年の抱負などを語り合う。また、お楽しみとして会員の方の落語や、クイズ大会もありました。そして、何よりも皆さんひとりひとりの持つ問題意識、現在の状況を変えようとする熱いに力を頂ける、そんな素晴らしい時間でした。

2018-08-21T09:41:42+09:002017年1月15日|Tags: , , |

駅頭での不思議な出会い

日々行っている駅頭でのご報告、様々な方からご意見やお話を頂けることが一番の喜びです。そして、時として、不思議な出会いもあります。 先日、夕方に大泉学園の駅前で挨拶をしていると、道に迷っているらしき老紳士が。お声がけすると、逆に「あなたは何党ですか?」と質問されました。私たちの団体(市民の声ねりま)のことを説明すると、納得されてご自身のことも色々と話してくださいました。 現在8*歳で、武蔵関から久しぶりに友人を訪ねてきたけれど大泉の駅前が変わって驚いている、ということから始まり、東京大学出身で研究職として長年メーカーで勤めてきたということ、学生の時は安保闘争などに深くかかわっていたということなど。 そして、なぜ安保闘争に関わろうと思ったかを伺ったところ、急に真剣な眼差しになって次のような話をしてくださいました。 少年時代、当時住んでいた荻窪で大規模な空襲があり、その際に米軍機が墜落した。そして、怪我をしていた米軍兵士を竹やりで殺した、とのこと。殺したのは苦しんでいる彼を助けるためだったけれど、そのことは記憶から決して離れなかった。そこから平和の大切さを実感し、安保闘争に関わったとのことでした。 そのうえで、今の政治はあまりにもひどい、と滔々とお話されました。とても静かな語り口なのに力強い、彼のお話に圧倒されました。 最後にお名前だけ教えて頂き、握手をしてお別れをしました。 駅でご挨拶いただける方、目で頷いてくださる方、区政報告を受け取ってくださる方、そして、お話を聞かせて頂ける方、こういった機会を頂けたことが新年の一番の喜びの一つでした。

2018-08-21T09:41:44+09:002017年1月13日|Tags: , , |

練馬区の成人式に参加して

今日は練馬区の成人式に参加しました。 今年の練馬区の新成人は約7,000名、そのうち4,000名以上が会場のとしまえんに集まります。他の自治体では、いくつかの会場に分けるのが一般的で、これほどたくさんの方が一カ所に集うのは練馬区の特徴です。 成人式に参加するのは議員になってから今年で二回目、としまえんと言えば、いつもは息子の大好きなミニSLにのるために何十分も並ぶ苦行の場(?)なのですが、この日ばかりは駅に着いた途端に視界に広がるのは色とりどりに着飾った新成人の方々。私までなぜか晴れやかな気持ちになります。 そして式典。今年の成人式は1996年に生まれた方が対象となります。皆さんの姿を見ながら、1996年、私は何をしていただろう、と思いを馳せると、ちょうど19歳、浪人中で代ゼミに通いながら、いつも学食で一番安いきつねうどんを食べながら、将来のことに悩んでたな(おかげできつねうどんが嫌いになってしまいました。。)とか、そういえば、一番流行った歌(ミスチルの「名もなき詩」)は今でもカラオケで歌っているな、とか、鮮やかに思い出しました。私は当時、自分に自信がなくて、自分にできること、向いていることは何かを必死で探していました。 2015年にNHKが18歳~20歳の若者に対して行ったアンケートによると、今の日本の政治に満足していない方は合計で74%、そして、日本の将来(20年後)は明るいと思えない人は全体の61%にも達していました。若い方も含めて閉塞感に覆われている、それが残念ながら現在の社会だと思います。しかし、そんな中で救いを感じたのが、同アンケートの中にあった、20年後あなたは幸せだと思いますか?という質問に対して、75%がそう思うと答えていたことでした。日本の将来は明るくなくても、その中で自分は幸せに生きたい、その思いが伝わるものだと思います。そして、今年の成人代表の方の「夢はすべて叶うと思うほど子どもではない、ただ、夢に向かって努力することがなりたい自分に近づける」というメッセージは印象的でした。 式典の後、次期衆議院選挙で東京9区から立候補予定の木内孝胤さん(民進党)、原純子さん(共産党)の話を聞く会に参加しました。労働条件や社会保障など、今の日本が抱える問題、そして特に若い世代にとっても深刻な問題に対して、どう向き合うか皆さんで議論をしました。若い方に負担を負わせないことは政治の大きな役割の一つ、これからも地域の中で頑張っていかなければと思う一日でした。

2018-08-21T09:41:44+09:002017年1月9日|Tags: , , |

2017年 お正月

年末から年始にかけては実家に久々に帰省。 年末からフライングで近くの公園で凧揚げをしたり、私の通った中学校への通学路を数十年ぶりに散歩してみたり。 そして元旦。私にとっての一大行事、年賀状書きが始まります。なぜこんなタイミング?と驚かれることが多いのですが、議員は区内在住の方に対して自分からは年賀状を書いてはいけないことになっていて、いただいた年賀状に自筆でお返しをする、ということが規則になっています。ですので、お正月に届いた年賀状に一枚ずつ読ませていただいてからお返事を書く、ということにしています。そこで、午前中に年賀状が到着して、それから一日がかりでお返事。待たされて機嫌が悪い息子と一緒に散歩がてらポストへと向かいます。ポストを見た瞬間にテンションが上がる息子。私の手から年賀状を取って、「ポストさんどうじょー!もぐもぐ」と言いながら一枚ずつポストに入れてくれます。そうか、こういう感じ方もあるんだな、でもできればもっと速くやって欲しいな。。。と抱っこして腕がプルプルしながら感慨に耽る一日でした。

2018-08-21T09:41:44+09:002017年1月3日|Tags: , , |

クリスマスのお祝い

先日、私たちが通う教会にもサンタがやってきました。 初めてのサンタに興味深々の息子、お家に帰ってから「サンタさん、何と言ってた?」と聞くと「フォッフォッフォッ」と一生懸命、真似をして答えてくれる。あまりに可愛くて、もう一度リクエストすると、また「フォッフォッ」と始まる。しばらく笑い転げた後に、サンタさんに何をお願いするの?と聞くと「(機関車トーマスの)ヒロ!(トーマスのともだちというか脇役の日本の機関車)」とのこと。 なかなかレアものをお願いするんだな…と思いながら、クリスマス当日の朝を迎えました。枕元の包みを開け、ヒロを見つけて大興奮の息子。よかったー!と思いながら、「これ誰にもらったの?」と聞くと「ママー!」の声が。サンタさんじゃなくても、せめてパパと言ってくれよ、と思う瞬間でした。。。 その後、クリスマスのためにAmazonで1000円で買ったサンタさんの衣装を着せようとするも、全力で断られる。仕方ないから、私が90㎝の衣装を無理やり被ってポーズをとると「ジングルベル」を全力で歌ってくれました。いつまでもリフレインする息子の「じんぐるべーる、じんぐるべーる、すじゅがなる、へい!(掛け声つき。。。)」という歌声に必死で踊り続けました…。

2018-08-21T09:41:44+09:002016年12月26日|Tags: , , |

クリスマスと望年会

出かけていた妻が帰ってきて、私と息子の初めての二人暮らしもようやく終了。 この間、急いでいるときに限って「(ごはん)たべないの~」「(洋服)きないのー」とぐずってみたり、夜中に泣き出して一晩中抱っこで過したりと、妻や母の大変さ、偉大さを改めて実感しました。 そして、同時に、今回のことで息子との絆が強くなったかな、と思っていたのですが、妻が帰ってきた瞬間に、「ママ(が)いいの!」「パパあっち!」の声が。。。私のこの間の地獄のような苦労は何だったのか…と肩を落としていると、落胆した様子を見ていたのか「パパ大好き!」と慌ててフォロー。二歳の息子に気を使われて嬉しいような、悲しいような。 そんな中、今日はいつも通っている大泉教会のクリスマス礼拝に家族で参加。23日が子ども礼拝、24日がクリスマスイブ礼拝、そして今日はクリスマス礼拝と今年は三日続けて教会に行くことに。クリスマス礼拝では毎年たくさんの歌も歌えて、私も家族も楽しみにしているのですが、今年は礼拝の後、余興の進行という大役(?)も果たすことになり、数日前から何をしようか頭を悩ましていました。そして、結局、仲間と一緒に、三人の共通点は何か?(例:全員B型)とか、それぞれの意外な一面は何か?といったどうでもいい(笑)クイズになったのですが、皆さんとても楽しんでいただき、親睦も深めることができました。 そしてクリスマス礼拝の後は急いで「ねりま市民望年会」へ。こちらは原発の問題や沖縄の問題などに対して、地域で様々な活動をされている市民の方が一同に会するもの。今年一年、お世話になった方々とお話する機会を持てて感謝するとともに、改めてもう一年も終わりだな、と実感。 さらにその後、大変お世話になっている海老沢牧師が行っている「野の花伝道所」のクリスマス礼拝へ。 望年会とクリスマスを交互に繰り返すという忙しい一日でしたが、お世話になっている皆さんと改めてお会いすることもできてとても楽しい時間を過ごせました。

2018-08-21T09:41:44+09:002016年12月25日|Tags: , |

事務所での定例会

先日は事務所での定例会。 議会が終わったこともあり、定例会の後、一品持ち寄りの懇親会も行いました。 今回初めてきてくださった方も含めて合計14名が参加。6畳しかない部屋いっぱいにご馳走が広がります。料理のレパートリーもトマトスープから、ちらしずし、チョップサラダ、山芋の揚げ物、煮物、手作りケーキなど皆さんの個性と同様、バラエティに飛んでいます。そして何より、どれも体にいいものばかり。最近は忙しくて手の込んだものを作れないわたし。皆さんの料理を見るだけでもとても幸せな気持ちに。 そしてそのあとは、皆さん持参のクリスマスプレゼントの交換会。この交換会、参加者の方からの「一度やってみたかった!」という声で急遽おこなったもの。皆さん、事前に500円までのプレゼントを購入して、クリスマスソングにあわせて交換するというもの。私もこんな交換会は小学校以来。 そして、話はこの一年の振り返りに。新たな事務所を設けたりいくつかのイベントを開いたりと多くの展開がある一方で、まだまだ不足している点も指摘いただき、来年に向けて新たな目標もできました。皆さんと一年の反省もしながら、交流も深められるとても充実した時間を過ごせました。本当にありがとうございました!

2018-08-21T09:41:44+09:002016年12月16日|Tags: , , |

息子との時間 その2

妻が出かけていて、息子との密度の濃い(?)時間が続く日々。 息子と会話する時間も普段より多いせいか、自分の語彙が少しずつ減っていくことに気づかされました。今日も日中、サポーターの方と車で移動していたのですが、犬と散歩中の方が通りすぎたときに思わず「あ!わんわんいた!」と指さしている自分…ふと我に返り、咳払いでごまかしてみるも不思議そうな顔をされて穴に入りたくなる私。。 考えてみると、ごはんを食べても「おいしーね!」 何か渡す時も「はい、どーぞ」少しずつボキャブラリーが減っていたことに気づき愕然とする。無理してでも難しい言葉を使わなくては!と思う私でした。。。

2018-08-21T09:41:44+09:002016年12月13日|Tags: , , |
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