息子の春休み、一週間ほどインドに滞在しました。妻が高校生の頃、自身の父が亡くなる前から「インドの父」としてお世話になって来たランジートさんに「孫」の顔を見せるのがメイン。ランジートさんは長年sustainable/study tours等をパルシックという日本のNGOと提携して行ったり、孤児の支援等もしてきた素晴らしい方。妻もデリーに勤務したことがあり、私も議員になる前、パキスタンで現地の貧困削減のために半年ほど活動しており、新婚旅行もインドだったので縁がある地域。いつか子どもが生まれたときには多様性から来る豊かさや途上国の現状を直接感じてもらいたいと夫婦で思っていたので、15年越しの夢がかなったことになります。

もう一つの目的はガンジーの足跡をたどるとともに、インド憲法を起草したアンベートカルの記念館を訪問することでした。アンベートカルはインドの身分制度の最下層とされる不可触民(ダリト)に生まれた方で、村ではハサミがけがれるからとして、髪も切ってもらえず、学校でも黒板に文字を書いただけで近くの弁当が汚れるといって、子ども達が弁当を隠すなど厳しい差別を受けていました。苦学の後、コロンビア大学とロンドンの大学で学び経済の博士号も取得し、イギリスで弁護士資格も取得した後、1920年代からカースト制度廃止のための社会運動のリーダーになります。その中で象徴的なのが共同貯水池の水をダリトの方だけが飲んではいけないということに抗議し、水を飲み、殴打された事件。
差別廃止を訴えながらもカースト制自体の撤廃は訴えなかったガンディーとも、ダリットのための議会での議席の配分等を巡って対立しましたが和解し、ネルーによって初代法務大臣に任命されました。そして世界で最も長い憲法とも呼ばれる315条からなるインド憲法を起草し、その中で不可触民制の廃止も謳われました。

記念館で示されていた「教育せよ、組織化せよ、そして抗え!」という言葉が彼の足跡とあわせてとても印象的でした。

私が議員を志した理由の一つが「マイノリティが住みやすい社会こそ誰にとっても住みやすい」という信念です。記念館で彼の足跡や力強い言葉に触れることができたこと、大きな財産になりました。