選挙に行こう!
衆院選も終盤戦。報道各社の調査によると自・公が優勢とのこと。
麻生副総理が応援演説で「高齢者が悪いというようなイメージを作っている人が多いが、子供を産まないのが問題だ」と発言、その後釈明したが、本音の吐露であろう。
ひと昔前は厚労相が「女性は(子供を産む)機械」と発言し、激しい批判を浴びた。
日本の政治は、高齢者に配慮しがちの「シルバー・デモクラシー」と言われる。
背景は、高齢者の人数が若年世代より多く、さらに投票率が高いからだ。
(前回(H24)衆院選投票率は20才代38%、60才代75%だった。)
まさに若年世代はサイレント・マイノリティーになってしまっているのだ。
選挙の公約でも、若年向けは「待機児童を解消するための保育所増設」が目立つだけだ。高齢政治家には「若者の環境」が見えていないのだろう。
「総選挙のとき、無党派層は寝ていてくれた方がいい」と発言した総理もいたのだ。
だからこそ、14日は選挙に行こう!選挙に行かない選択はない!
サポーター集会
12月7日、大泉の勤労福祉会館にて岩瀬たけしのサポーター総会を開催いたしました。始まる前は何人の方が参加して下さるかドキドキしていましたが、蓋をあけてみると90名近い方にご出席いただき、大盛況の内に終えることができました。出席いただいたたくさんの方と、私の思い、考えを共有させて頂けたこと、とても嬉しかったです。
総会は、進藤伸一さんのピアノライブ、私の思い、サポーターの皆さまからのエールの構成でした。
最初のピアノライブでは、私に因んだ曲ということで、”you are mysunshine”と”ボラーレ”を進藤さんに選曲いただきました。特に”ボラーレ”はスペイン語で”空高く舞い上がる“という意味で私が南米に留学していた頃にいつも聞いていた思い出の曲。
その後、これまで途上国の開発に携わった経験をもとに、地域で様々な活動をする方と、ともに歩み、地域全体を繋げたい、その思いから区議を志すことに決めたことを説明させて頂きました。その上で特に、障がいのある方や性的少数者、外国人を含むすべての人に対する差別が無く、違いを分かり合える町、そして、男性が子育てを主体的にできる町、ねりまを作りたい、という思いを共有させていただきました。
皆さんに私の思いをゆっくりとお話させていただくことができたこと、本当に嬉しく思っています。
その後、たくさんのサポーターの方から応援のメッセージをいただきました。地域に長く住まわれている方、若い友人の方、家族、いつもお世話になっている諸先輩など、たくさんの方から激励の言葉をいただき身が引き締まる思いでした。
そして、市民の声ねりま共同代表の池尻成二からのメッセージ。池尻、岩瀬の二人で頑張りたいという思いを伝えてもらいました。
活動はこれからが本番。今後、少しでも広がりを持てるよう、全力を尽くしますのでこれからもよろしくお願いいたします!
若者の投票率
山田昌弘著「なぜ日本は若者に冷酷なのか」を読んだ。
日本は20年を超える経済停滞の間に若者の間で格差が発生(非正規社員30%、ニート60万人、未婚化増大・・・)。そして社会的弱者に転落した若者に冷たい(雇用・社会保障は中高年に厚い)。やさしい親に頼らざるを得ないが、親はいずれ亡くなる。
必然「下降移動社会が到来する」と言う。対策として新卒一括採用の見直し、年金制度改革、子ども手当の拡充、共働き夫婦を支援するための制度の強化などが挙げられている。
「若者に冷たい」政府や社会、このままでは日本はどうなるのか、悲観的になってしまう。
「明るい選挙推進協会」によると、前回衆院選での20代の投票率は37,9%と全体の59%を大きく下回っていた。私が住んでいた中南米の多くの国、投票は義務であり、若者がカフェやバーで政治の議論を繰り広げるのが日常的な風景だった。日本でも同じことを!とは言わないが、若者の意見を政治に反映させるには若者自身が投票所に行って存在をアピールする必要がある。
性的マイノリティ(LGBT)への就職支援
性的マイノリティーの学生の就職活動に、外資系企業やLGBT団体が手を差しのべ始めたようだ。電通総研の調査(2012年、20~59才の男女7万人対象)によると、LGBTは5,2%で20人に1人の割合と決して少なくない。
外資系のモルガンスタンレーやゴールドマンは「優秀な学生にきてもらいたい」とLGBT学生を積極的に支援しているし、大阪ガスは「性的指向による差別をしない」と就活生向けのパンフレットに盛り込むなど、遅れていた日本企業でも少しずつ意識は変わりつつある。しかしまだ多くの人々は職場での差別を恐れて、性的マイノリティーであることを隠すことを余儀なくされている。
アップルのクックCEOが先月末「孤独な人に慰めをもたらし、権利の平等を求める人を勇気づけることが出来るなら、私個人のプライバシーを犠牲にする価値がある」と同性愛であることを公表した。反響は大きかったが、概ね好意的であったようだ。
日本のLGBTを取り巻く環境をより改善するために、地域から、特に地方自治体が率先して、性的マイノリティーの雇用を積極的に推進するなど、差別や偏見をなくすべきだ。
LGBTについて
ニューヨークで働く人権弁護士で、移民局や法廷における難民認定審査のための代理人をしている友人が来訪。アメリカの難民認定などの現状を聞く。
難民申請の理由もたくさんあるが、ジャマイカやイラン、ウガンダなどLGBT(性的マイノリティ)であることで迫害を受ける国も多いとのこと。
日本ではLGBTの方に対する暴力事件や処罰などはないが、性的指向やアイデンティティについて話すのはまだまだタブー視されている。差別されることを恐れてLGBTであることを隠して生きざるを得ない人々もたくさんいる。
性的指向やアイデンティティは政治的な意見、信仰、民族等と同じく人の人生の重要な一部であり、それを一生隠さなければいけない苦しさは想像を絶する。こうした状況を学校教育等を通して地域から変えていく必要がある。
女性への支援
「衆議院の突然の解散により、今臨時国会で成立が期待されていた「女性活躍
推進法」が廃案になってしまった。
誠に残念なことである安倍首相の「女性の輝く社会実現」の本気度を疑う。
女性政策は「アベノミクス」の重要な柱の一つであった筈だ。
本来、景気や経済・政治の動向と関係なく女性の活躍は推進されなければならないし、日本社会の活性化には女性の活躍が不可欠である。女性の活躍を妨げている構造的な要因を改革する必要があった。
選挙後の新しい通常国会で、再度「女性活躍推進法」を起案・成立させて欲しい。
解散総選挙
今回の師走解散選挙に掛る公費は700億円だそうだ。
無駄な費用とは言わない・・・しかし・・・。
「世界の難民や国内避難民の急増は深刻で、UNHCRの設立以来、最悪の状況だ。
中でもイスラム国の影響は深刻で、支援機関の対応能力を超えている。それでも世界からの支援は増えない」と来日したUNHCRのグティエレス高等弁務官は嘆く。世界で「巨大な人道への危機」が起きているのだ。
今選挙をしなくとも、700億円の有効なお金の使い道は、他にいくらでもあったのではないか。
世界人口白書
2014年版「世界人口白書」が発表された。
世界の若者(10~24歳)に焦点を当てている。世界の若者人口が巨大(過去最高の18億人)になり、社会不安が高まる可能性を指摘する一方、若者の教育や健康・職業訓練に投資することで、その潜在力を経済発展に繫げられると主張。(なお若者の9割が開発途上国で暮らしており、途上国では6割が就学・就労してない。)
また「白書」の中で、人口に占める若者の割合は、日本は14%と最低水準であったが、若者へ投資する重要性は変わらない、否「少子化対策」を含め最大限投資していく必要があるとのこと。
先日、NHKニュースで経団連が、政府に「一刻も早く実効性ある少子化対策に取り組む必要がある。高齢者向けの政策の予算配分を見直し、子育てや教育関連の施策に重点を置くべきだとする」提言をまとめ上げたと報道していた。
尤もである。日本の若者はサイレント・マイノリティーになっていないだろうか?政治不信が底にあるのか?もっと政治に参加していく必要があるだろう。インターネット投票も実現すべきだと思う。
若者の声を政府に伝えていく必要がある。
現在の状況
大手新聞の記事、韓国の若者たちが苦悩を深めているようだ。
韓国の若者は、景気の低迷等から将来への不安を抱き、自分たちを「5放(放棄)世代」と呼ぶとのこと。(「恋愛」「結婚」「出産」「人間関係」「持ち家」の5つだ。)
日本ではどうか?日本でも、明るい未来を描けないという不安やストレスが広がっていないだろうか?不本意のまま非正規雇用で働いている人は341万人、特に25~34歳は34万人(全体の30,3%)と多くしかも増加傾向にある。
アベノミクスの成果が強調されているが、若者に光が当っているようには見えない。
逆に格差拡大傾向が目につく。日本の将来を担う若者に寄り添う政治が、いま必要とされている。
教員採用試験について
先日の新聞。教員採用試験に性的嗜好や宗教についての質問を含む心理テスト(1943年、アメリカで開発され1993年に改訂)を一部自治体でいまだに使用している(3県と2市、他5県1市は非公表)ことが判明したとのこと。
質問には「同性愛者かどうか?」「キリストの再臨を信じるか?」などが含まれている。
これは明らかに差別・人権侵害に繋がる。
文部科学省は「試験内容は、各自治体が決めること」としているようだ。
また質問内容からして、アメリカのテスト問題を何も考えずそのまま訳して使っていたようだが、言い訳にならない。教員に求められる能力や資質とは関係なく、また公平を欠く前時代的テストを実施している感覚が分からない。