歴史学者の和田春樹さんを囲んで。3月26日の朝鮮学校のオモニの話を聞く会に向けて

和田春樹 さんを囲んで、毎年1月に開催されている大泉市民の集い、今年は初めてオンラインでの開催でした。この会はベトナム戦争に反対する市民の有志によって設立、その後も平和や反戦に向けての活動を続けてきました。直接お会いすることはできませんでしたが、和田春樹さんの朝鮮問題についての力強いお話、毎回とても勉強になります。 […]

大切な方とのお別れ。「お別れは少しだけ死ぬこと」

数日前、心から尊敬していた東海林勤先生が天に召されたとのご連絡がありました。 先生は日本キリスト教団の牧師様でいらっしゃり、日本キリスト教協議会の総幹事、そして高麗博物館の理事長等を歴任し活躍され、在日コリアンの権利のためにも尽力なさいました。和田春樹先生との共著なども出されています。家族でお世話になっている大泉教会にも長く通われていました。ちなみに奥様は故・東海林路得子さんで、従軍慰安婦問題やDV・人身取引被害者の救済等に奔走された方。私にとってお二人は、スーパーヒーロー・カップルでした。 東海林勤先生は、凄い経歴をお持ちで大変理知的なのに決して偉ぶることなく、いつも朗らか。私が初めて選挙に出る時も、マイノリティの人権への思いを話したところ、ご自身が今まで取り組んで来られたことだからと、推薦人を引き受けて下さりました。初めての選挙、駅で緊張しながら演説しているとき等も、にこやかに見守っていただけたこと、とても心強かったです。この数年、体調を崩されていて、お見舞いにも伺ったのですが、コロナの影響でクリスマス礼拝以降、お会いできなかったのが残念です。 南米に暮らしていた時、友人から教えられたスペイン語の諺の一つに「irse es morir un poco」「別れるという事は少し死ぬこと」というものがあります。意味は、死別を含めて、人と別れるということは自分自身の大切な一部を失うことであり、小さな死を経験すること。 今の仕事をする中で何度もお別れがありました。自分が大切に思っていた方がいなくなるということ、とても辛いです。ただ大切なことは、頂いた一つ一つの思い出を忘れず、感謝して生き続けること。東海林先生から教えて頂いたことは私・私たちのなかで何度も復活して生き続けるし、これからも実践していきたいと思います。

和田春樹 先生のお話 “Eternal vigilance is the price of the liberty”

毎年恒例の「 平和を愛する大泉市民の集い 」の新年会に参加しました。この会はベトナム戦争に反対するために東大教授だった和田春樹さんが立ち上げた会で、私の義理の両親も参加していました。例年お声がけいただき、参加するのは今年で5回目になります。 和田さんのお話、特に1月23日の朝日新聞にもコラムとして掲載された 桜を見る会 の名簿紛失に関してのものが印象的でした。 1. 政府がこれまで隠蔽したことに比べたら桜を見る会は小さなこと?? 和田さんによると日本政府がこれまで隠蔽してきたことに比べると、桜を見る会の名簿紛失は小さなこと(!)のことでした。日本はこれまでも「都合の悪いものを隠す専門家」だったとのことで、その一つが 北方領土 に関するものだそうです。日本政府は現在、サンフランシスコ平和条約でクリル列島について日本政府は主権を放棄したものの、北方四島はクリル列島には含まれないので返還を求めている、と主張しています。しかし、1955年までは、日本政府は択捉島、国後島をクリル列島の一部として認めていた、とのことでした。 2. 北方領土問題、なぜ4島返還の議論になったの? そのため日ロ交渉においても、当初は二島返還のみの協議が行われており、1955年にフルシチョフと鳩山首相のやり取りの中で変換がほぼまとまりかけたとのこと。しかし、ソ連との接近を恐れた吉田元首相と米国政府が、交渉を決裂させるために4島返還へと急に舵を取ったとのことでした。クリル列島に二島が含まれるという見解の公文書は国内では削除してしまったとのこと。しかし、海外での公文書博物館ではかつての日本の見解が残っているとのことです。 2019年末には二島返還について重光外相とダレス米国務長官が1955年にやり取りした内容について、64年ぶりに公開されましたがその内容も未だにほぼ黒塗りになっているとのことです。和田さんによると、北方領土問題についても「都合の悪い資料は焼く、捨てる、削除する」ということが繰り返されているとのことでした。 結論 政府が資料を隠蔽しようとすることを、市民として監視しなければ! 米国の公文書館には”Eternal vigilance is the price of liberty”「永遠の監視は自由を得ることの代価」と示されているとのことです。公文書の公開を求めるという権力監視を怠れば、国民の自由は必ず侵されるとのことであり、まさに今の安倍政権にもあてはまるとの言葉はとても印象的でした。 区議会においても、委員会の資料を当日まで委員にも公開しない、傍聴者には資料を提供しないといったことを改めるよう何度も求めてきましたが、いまだに前に進みません。広く情報が開示されて、市民が監視できるような体制を地域からもしっかりと作られるよう、訴えていきたいと改めて思いました。

もはや沈黙するのもまた苦痛である 歴史学者 和田春樹さんを迎えて(大泉わくわく講座②)

先日、和田春樹さんをお招きした講演会「大泉から平和国家を考える」を行いました。おかげさまで今回の会場、大泉図書館も超満員、大変な熱気の中で行うことができました。 私の事務所では「大泉わくわく講座」(「泉」と「湧く」をかけた名前です☺)と題して、地域、地方自治に所縁のある方をお招きして、皆さんと一緒に地域の課題を学び合う機会を設けています。一回目は憲法学者で私の恩師でもある樋口陽一さんに「地方自治と憲法」についてお話いただき、二回目は歴史学者で、地域でベトナム戦争への反対運動を行った「大泉市民の集い」の代表でもある和田春樹さんからお話しを伺うことになりました。この大泉市民の集い、実は私の亡くなった義父も若いころから参加していました。 ベトナム戦争が始まってから、すぐ近くの朝霞の米軍基地にベトナム戦争の傷病兵が連日、先生が以前から住んでいらっしゃった大泉学園町の頭上を通ってヘリで運ばれるようになったとのこと。ロシア史を研究していた先生は、第一次大戦下でロシアの兵士たちがもう戦争がいやだといって革命に加わる話を論文に書きながら、現実に何もしないということが耐えられなくなり、キング牧師が暗殺された翌日から、ご夫婦で反対のビラを大泉学園駅前で配りはじめ、それに呼応した方々が集まって1968 年、「大泉市民の集い」が誕生したとのことです。そして、皆さんの活動もあって、二年後の1970年12月には野戦病院は閉鎖されたのです。先生が作成した「大泉学園地区に住む市民のみなさんに訴える」と題されたビラ、講演会でも配布したのですが、とても印象的でした。 「ベトナム戦争について、ジョンソン大統領はいう、『ベトナムにおける自由」のため、『民主主義のため」だと。だが、数百万発の爆弾によって押し付けられる『自由」とは何か、『民主主義」とは何なのか…私たちには、老いた両親と二歳の娘がいる。幸いにして健康な私たちの娘が彼女の祖父や祖母とたわむれているその頭上を、汚い戦争の戦士たちが運ばれていくのをみるのは、苦痛である。もはや沈黙するのもまた苦痛である。私たちはアメリカのベトナム侵略に抗議する。(一部抜粋)」 当時30歳だった和田先生が奥様とたった二人でこのビラをまいたことが活動の始まりだったと知り、改めて胸が熱くなりました。 先生のお話を伺ってから、私からは現在の状況について話をしました。世界を見ると、数日前、トランプ大統領が新型爆弾をアフガニスタンで初めて投下しました。この爆弾、MOAB(通称:Mother of all the bombs)「すべての爆弾の母」との名称で、最強の非核爆弾と呼ばれ、900メートルの範囲をすべて爆風でなぎ倒し、殺してしまうものです。この爆弾は、ベトナム戦争で使われた大型爆弾(デイジーカッター)の後継として開発されたもので、爆弾としてだけではなく、化学汚染をも引き起こし、さらに戦闘員、非戦闘員の区別無く無差別に殺戮する兵器として使われたものでした。 国内に目を転じても、最近、政府によって教育勅語に対する肯定的な発言が繰り返されています。稲田防衛大臣は「教育勅語の精神である道義国家を目指すべき」、安倍首相も教育勅語を園児に唱和させる森友学園の教育方針を、「大変すばらしい」などと評価していました。地方議会でも学校の道徳の授業で使うべき、という発言も出ています。しかし、教育勅語は天皇が臣民に授ける、という形で作られたもので、主権が天皇にあるという前提になっています。これは、憲法の基本的な理念に完全に反するものです。 そんな中、一筋の光が地域での市民の方々の活動だと思います。 これまで頑張ってきてくださった方、草の根で活動し続けてくださった方がいたからこそ今またこのような危機の時代においても、私たちが活動を続けてこれた。今回の先生のお話を伺って、改めて勇気づけられる、そんな気がしました。 次回の「大泉わくわく講座」は6月、次のテーマは大泉のまちづくりについて、樹木医の方のお話を通じて考える予定です。ぜひご参加ください!

2018-08-21T09:41:39+09:002017年4月17日|Tags: , , |
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