About 岩瀬たけし

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久しぶりの懇親会

今日はサポーターの皆さんとの定例会。 一年の振り返りとともに、これから事務所で行うイベントについてお話しました。皆さんとお話して実感したのが、皆さんのおかげで事務所を持つことができて活動の幅がとても広がったな、ということ。「いわせてカフェ」や法律相談会のほか、定期的に絵本の読み聞かせをしたり、ご提案をいただきながら「大泉わくわく講座」という市民講座を2か月ごとに開催したり。そして、今月からは、ドキュメンタリーなどを一緒にみながら議論する会も開催することになりました。こうして皆さんの力を頂きながら、一つ一つの活動を積み重ねて、少しでも地域に根差していきたいと改めて思いました。 その後は久しぶりの一品持ち寄りの懇親会。天気も良かったので、お庭で行いました。自家製のサングリア(お酒は完全に飛ばしてありました。)、卵を使ったポテトサラダ、野菜たっぷりの煮物、古代米、唐揚げ、焼きコロッケ、豚の煮つけ、肉まん、ミルクレープなど、みなさんがそれぞれ準備してくださったもので、どれも材料から体にいいものばかり(因みに私は今回は時間がなく、ズルして生活クラブのロールキャベツ(味付けは私が行いました…))、久しぶりに皆さんとリラックスさせていただきました。 6月10日には、大泉わくわく講座の第三回目として、樹木のお医者さん(樹木医)の方をお招きして、講演会「樹木医から見た大泉のまちづくり」も行います。ぜひご参加ください!

軍艦、ハワイ、朝鮮…皆さんは「軍艦じゃんけん」、知っていますか?

先日、実家の母と久しぶりに話した際、近くの小学校に通う友人のお孫さんが、学校で友達から教えてもらったといって、じゃんけんの「ぐー、ちょき、ぱー」の代わりに「軍艦、ハワイ、朝鮮」と言い出したとのこと。驚くと同時に、私も小さいころ、意味を知らないままに、「軍艦、ハワイ、沈没」と言って遊んでいたことを思い出しました…調べたところ、「軍艦じゃんけん」と呼ばれていて、歴史ははっきりしてないものの、戦時中にできたと推定されるそうです。 皆さんのまわりでは軍艦じゃんけん、ありましたか? このことから感じたのは、学校であまりに近現代史を教えてこなかったのではということです。知らないからこそ(私も含めて)、こうした遊びが無くならず、また、周囲が止めることもないのではないでしょうか。 私が外国籍住民との共生などについて駅等で訴えているとき、「南京大虐殺はなかった」とか、「従軍慰安婦はデマだ」とか、話しかけてくる方がいらっしゃるのですが、10代から20代の方が多く、「なぜそう思うのですか?」と聞くと、「インターネットや友人から学んだから。」とのこと。改めて聞くと、学校で近現代史はほとんど教えられなかったので、自身で勉強したとのことです。 ちょうど今、地域で日中韓の専門家が共同で編集した教科書「未来をひらく歴史」の読書会に参加していますが、それを読んでも日本の歴史教科書との違いも感じています。社会が、教育も含めてしっかりと歴史と向き合っていくこと、重要だと改めて感じました。

2018-08-21T09:41:39+09:002017年5月10日|Tags: , , |

東京レインボープライド2017

GW最終日、代々木公園で行われた「東京レインボープライド2017」(TRP2017)に参加しました。議員を志した時、目標に掲げたことの一つが外国人や性的マイノリティなど、様々な価値観や多様性が尊重され、共存、共生する地域社会をつくることでした。だからこのフェスタ、毎年参加することを楽しみにしています。 会場につくと、去年よりも遥かに多いブース、そして参加者の方も性別や国籍を問わずおもいおもいのスタイルで楽しんでいる姿に、海外にいた頃を思い出しました。 海外にLGBTであることをオープンにしている友人は何人もいますが、そのアイデンティティを前面に出すことがタブー視されがちな日本では、カミングアウトしていない友人が大半です。「多様性の尊重」といいながらも、学校などでは性的マイノリティについて教えることはほとんどなく、私たちが議会で学校において性的マイノリティの子ども達への配慮を訴えても、なかなか前に進まないのが現状です。 だからこそ、こうしたフェスタなどを通じて、カミングアウトしやすい社会、またしなくても過ごしやすい社会に少しでも近づけばいいと改めて思うとともに、地域でしっかりと活動をしていかなければと改めて思いました。

憲法記念日におもうこと

憲法記念日の今日、地元の大泉9条の会の皆さんと共に、大泉学園駅で憲法の大切さについて訴えました。憲法ができて今年でちょうど70年、今ほど憲法が揺らいでいる時期はないと思います。 私が政治家を志した際、掲げた目標の一つが、「地域から平和と人権、憲法を守る」でした。(詳細はウェブサイトをご覧ください iwasetakeshi.net)。これは、私がこれまでパキスタンやコンゴ、ウガンダなど、紛争国で国際協力を行ってきた中で、紛争が子どもを含む人々の一生にどれほど残酷な事態をもたらすかを見たからです。 ウガンダでの活動時に仲良くなった同世代の運転手の方が、ある時「僕は子どもの時、兵士だったんだ。そして、もちろん銃も撃ったよ。」そんな話をしてくれました。私が驚いて「人を撃ったこともあるの?」と聞くと「当然だろ、銃の先に何があると思っているんだ?」と怪訝そうに聞かれたのが衝撃的でした。 当時の私にとって、銃を撃つということは映画やゲームなど、遠い世界の出来事だと感じていたのですが、それがあまりに日常にあるということに気づかされました。 同時に彼が「テレビで見たのだけど、日本には軍隊がないんだろ、本当に羨ましいよ。戦争なんてどんな理由があっても絶対ダメだ。政府がどんなに美しいことを言ったって、人殺しに正義なんてない。そして、武器がある限り戦争はなくならないんだよ」と話していたのが印象的でした。 朝鮮半島やシリアなど国際情勢が緊迫している中、日本でも戦争に備えるべき、といった議論も行われています。でも、こんな状況だからこそ、日本こそが平和の大切さを訴えていくべきだと思いますし、そのためにも憲法は絶対に守らなければならない、と改めて思いました。 今年に入って、地域で憲法について考えるために、ゼミの恩師でもある憲法学者の樋口陽一先生、歴史学者で「大泉市民の集い」の発起人でもある和田春樹さんをお招きして講演会や勉強会などを企画してきました。 その中で、樋口先生は立憲主義について、「立憲主義は闇夜を照らす灯台のようなものだ。晴れているときはなくてもいいと思うが、それが行き詰った時にこそ、ましてや防風が吹きすさぶ時こそ灯台(立憲主義)の重要性が問われる」と言っていましたが、安保関連法制が成立し、共謀罪までもが可決されようとしている、まさに今が防風の中にあり、今こそ立憲主義の重要性が問われていると思います。 私たちも地域の中で、これからも憲法の大切さを訴えていきたいと思います。

2018-08-21T09:41:39+09:002017年5月3日|Tags: , , |

多言語でのウェブサイト、できました!

議員を志すうえで、最も実現したかった事の一つ、それが、地域で国籍や民族などの異なる人々が互いの違いを尊重し、地域社会の一員としてともに生きる、多文化共生社会を実現することでした。 その小さな一歩として、私のウェブサイトで、英語、スペイン語、韓国語での説明も掲載をはじめました。区のウェブサイトなどでは機械による自動翻訳が多いのですが、内容が間違っている、また、意味をなさないことも頻繁にあるので、私たちはすべてボランティアの方々との共同作業で行いました。おかげで時間はかかりましたが、ようやく完成することができました。 外国籍の方からも多くご相談を頂き、伊藤朝日太郎弁護士と一緒に行っている無料の法律、生活相談でも多くの外国籍の方がお越しになっている中で、今後も様々な形で多言語での情報を発信していきたいと思います。ぜひご覧ください! iwasetakeshi.net

2018-08-21T09:41:39+09:002017年5月2日|Tags: , |

南米エクアドルで車いすの大統領が誕生します、日本では?

私が議員になるまで2年にわたって活動していた南米のエクアドルで5月から車いすの大統領、レニン・モレノ氏(Lenín Moreno)が誕生することになりました。南米も含めて、世界が右傾化している中で、エクアドルでは左派政権が続くことになります。 このモレノ氏、1998年に車で強盗にあい、銃撃を受けて、両足の自由を失ったとのこと。その後、うつ状態に苦しんだものの、「犯人を許す」という心境に達し、心が解放されたそうです。その後、ユーモアや愛、友人や家族との繋がりこそが痛みを癒す、という考えで多くの著書も記しています。 今回の大統領選挙では、右派の候補である銀行家を接戦で破り、「私はすべての国民のための、中でも特に貧しい人々のための大統領になる。」と言っています。(毎日新聞の記事より) 一方で、日本を見ると、障害者差別禁止法などは成立したものの、障がいを持つ政治家はまだまだ一握りです。日本は経済大国として、エクアドルに対しても毎年、多くの技術支援を行っていますが、むしろ日本がエクアドルや、ムヒカ元大統領の国、ウルグアイなどから学ぶべきことも多いと思います。 http://www.asahi.com/articles/DA3S12880466.html (写真は2014年、集落でのワークショップの様子です。)

2018-08-21T09:41:39+09:002017年4月25日|Tags: , , |

週末の活動 ダグラス・ラミスさんの講演会といわせてカフェ

週末は3つのイベントに参加しました。最初は私も会員になっているNPOのふらじゃいるの総会。こちらの団体、地域で精神障がいを持つ方、そしてサポートする方々など、当事者による団体で、当時者同士で支えあうことが効果的である、という考えに基づいて「当事者研究」などを毎週行っています。総会も皆さんの普段の活動が伝わる暖かい雰囲気で行われて、その後の懇親会で皆さんとゆっくりとお話もできて、私も元気を頂けました。 その後、「世界が百人の村だったら」などの著者で政治学者のダグラス・ラミスさんの講演会に参加しました。ラミスさん、実はPARC自由学校で私の妻や義母の英語の先生だったこともあり、当時から大変お世話になっていました。特に、妻にとっては、最初に国連で働くという夢について背中を押してくれた方でもあったので、私も楽しみにしていました。 ラミスさんの憲法改正や、沖縄に関するお話。クリティカル(批判的)だけどユーモアに富んでいて、小学生でわかるような言葉で話すのが印象的でした。特に、沖縄に米軍基地の75%が集中している状況について、「日本が100人の村だったとしたら、沖縄が1人でそれ以外が99人、みんなでレストランで支払いをする際に、沖縄の人の意見を聞かずに、沖縄だけが75,000円支払って、残りの人は250円程度ずつしか支払わない、と決めてしまうのと同じことだ。」という例えが非常にわかりやすかったです。そして、私たちがすべきこととして、まずは沖縄の負担を正確に理解することが必要である、という指摘、その通りだと思いました。 そして、日曜日は「いわせてカフェ」を西大泉で実施。こちらのカフェ、少人数の皆さんとお茶を飲みながら、ゆっくりと政治のことや地域のことなど、自由にお話しようというもの。西大泉で行うのは1年振りで、宣伝の機会も限られていたので、誰も来なかったらどうしようと心配だったのですが、実際には支援者の方を含めて、合計で8名の方が参加してくださり、それぞれのお仕事などについてお話いただきました。今回は、障がい者支援に関わる方が多く、現在の福祉政策の課題などについて、それぞれのご経験からお話を伺うことができ、私にとっても勉強になりました。 その後、家に帰って息子と近くの公園をお散歩。皆さんから力をいただける素晴らしい週末でした、また一週間頑張ります!

2018-08-21T09:41:39+09:002017年4月23日|Tags: , , |

全国学力テスト、本当に必要なの?(今日の新聞から)

今朝(4月19日)の朝刊に全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の問題が掲載されていました。こちら、すべての小学6年生と中学3年生を対象に実施されていて、今回が10回目になります。 学力テスト、始まった時から、教育現場を中心に大きな議論がありました。 このテスト、当初の目的は、子ども達の普段の学力を地域ごとに調べて、苦手な分野などの傾向を指導の改善などに反映させることにありました。つまり、競争などをさせるものではなく、学校ごとの成績を出したりはしない、というのが前提です。 でも現在は、学力テストが学校間の競争の材料にもなってしまっています。 例えば、島根県では、小中学校の2割が、昨年、学力テストの順位を上げるために、過去問を解かせたり、放課後に補習をしたりしたとしています。これでは「普段の学力」を把握して、それを今後に活かす、という本来の目的からかけ離れているものですし(こうした傾向について、昨年、文部科学大臣も「本末転倒だ」と述べています)、その結果、教育の現場、子供達にとっても負担になってしまっています。 学力テストについては、子ども達が自分の客観的な学力を知ることができるし、苦手分野を知ることもできる、という肯定的な意見もあります。しかし、このテスト、4月に行われて、その結果がわかるのは夏休み明け、4か月以上たってからになります。これでは、子ども達や保護者にとっても、効果的とは言えません。 藤田英典・東大名誉教授は「テストと名がつくものに、対策が講じられるのは当然だし、都道府県別結果を公表している以上、競争は必ず生まれてしまう、学力の把握や指導法改善のためなら抽出調査や10年に一度で十分だ。」と述べています。(毎日新聞の記事から) 毎年60億円もの税金が使われる学力テスト、本来の目的とはかけ離れ、また教育現場や子ども達にも負担を強いるようなものであり、10回を迎えた中で、本当に必要なのかも含めてそのあり方について、地域でもしっかりと議論をする必要があると思います。 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170418/k10010952441000.html

もはや沈黙するのもまた苦痛である 歴史学者 和田春樹さんを迎えて(大泉わくわく講座②)

先日、和田春樹さんをお招きした講演会「大泉から平和国家を考える」を行いました。おかげさまで今回の会場、大泉図書館も超満員、大変な熱気の中で行うことができました。 私の事務所では「大泉わくわく講座」(「泉」と「湧く」をかけた名前です☺)と題して、地域、地方自治に所縁のある方をお招きして、皆さんと一緒に地域の課題を学び合う機会を設けています。一回目は憲法学者で私の恩師でもある樋口陽一さんに「地方自治と憲法」についてお話いただき、二回目は歴史学者で、地域でベトナム戦争への反対運動を行った「大泉市民の集い」の代表でもある和田春樹さんからお話しを伺うことになりました。この大泉市民の集い、実は私の亡くなった義父も若いころから参加していました。 ベトナム戦争が始まってから、すぐ近くの朝霞の米軍基地にベトナム戦争の傷病兵が連日、先生が以前から住んでいらっしゃった大泉学園町の頭上を通ってヘリで運ばれるようになったとのこと。ロシア史を研究していた先生は、第一次大戦下でロシアの兵士たちがもう戦争がいやだといって革命に加わる話を論文に書きながら、現実に何もしないということが耐えられなくなり、キング牧師が暗殺された翌日から、ご夫婦で反対のビラを大泉学園駅前で配りはじめ、それに呼応した方々が集まって1968 年、「大泉市民の集い」が誕生したとのことです。そして、皆さんの活動もあって、二年後の1970年12月には野戦病院は閉鎖されたのです。先生が作成した「大泉学園地区に住む市民のみなさんに訴える」と題されたビラ、講演会でも配布したのですが、とても印象的でした。 「ベトナム戦争について、ジョンソン大統領はいう、『ベトナムにおける自由」のため、『民主主義のため」だと。だが、数百万発の爆弾によって押し付けられる『自由」とは何か、『民主主義」とは何なのか…私たちには、老いた両親と二歳の娘がいる。幸いにして健康な私たちの娘が彼女の祖父や祖母とたわむれているその頭上を、汚い戦争の戦士たちが運ばれていくのをみるのは、苦痛である。もはや沈黙するのもまた苦痛である。私たちはアメリカのベトナム侵略に抗議する。(一部抜粋)」 当時30歳だった和田先生が奥様とたった二人でこのビラをまいたことが活動の始まりだったと知り、改めて胸が熱くなりました。 先生のお話を伺ってから、私からは現在の状況について話をしました。世界を見ると、数日前、トランプ大統領が新型爆弾をアフガニスタンで初めて投下しました。この爆弾、MOAB(通称:Mother of all the bombs)「すべての爆弾の母」との名称で、最強の非核爆弾と呼ばれ、900メートルの範囲をすべて爆風でなぎ倒し、殺してしまうものです。この爆弾は、ベトナム戦争で使われた大型爆弾(デイジーカッター)の後継として開発されたもので、爆弾としてだけではなく、化学汚染をも引き起こし、さらに戦闘員、非戦闘員の区別無く無差別に殺戮する兵器として使われたものでした。 国内に目を転じても、最近、政府によって教育勅語に対する肯定的な発言が繰り返されています。稲田防衛大臣は「教育勅語の精神である道義国家を目指すべき」、安倍首相も教育勅語を園児に唱和させる森友学園の教育方針を、「大変すばらしい」などと評価していました。地方議会でも学校の道徳の授業で使うべき、という発言も出ています。しかし、教育勅語は天皇が臣民に授ける、という形で作られたもので、主権が天皇にあるという前提になっています。これは、憲法の基本的な理念に完全に反するものです。 そんな中、一筋の光が地域での市民の方々の活動だと思います。 これまで頑張ってきてくださった方、草の根で活動し続けてくださった方がいたからこそ今またこのような危機の時代においても、私たちが活動を続けてこれた。今回の先生のお話を伺って、改めて勇気づけられる、そんな気がしました。 次回の「大泉わくわく講座」は6月、次のテーマは大泉のまちづくりについて、樹木医の方のお話を通じて考える予定です。ぜひご参加ください!

2018-08-21T09:41:39+09:002017年4月17日|Tags: , , |

3年前の今日、私はまだエクアドルでした。

3年前の今日、皆さんは何をしていたか覚えていますか? フェイスブックで「過去のこの日」という機能があって、自動的に数年前の投稿が出てきます。何気なく見てみたら、ずいぶん昔のことのような、懐かしい気持ちになりました。 3年前の今日、私は南米のエクアドル、その中でも最も貧しいアンデスの山岳地域、標高3000メートルに位置する先住民の集落にいました。当時の仕事はJICA(国際協力機構)の専門家、地域の中でも、歴史的にも虐げられてきた、特に先住民の女性の収入改善を図ることでした。 当時の私がどうしても実現したかったこと、それは活動を通じて、地域の中でも、声を挙げられない方々、もっとも弱い立場にある方々の力になることでした。そしてその集大成が、エクアドルでの2年にわたる活動だったと思います。上からの視点で援助を「施す」というのではなく、現地の方と同じ目線で、一緒に悩みながら解決を図る。最初は余所者として、なかなか心を開いてもらえなかったですが、文字通り、同じ釜のごはんを食べて、たくさんの話を伺い、時間を掛けながら次第に距離が縮まり、最後はパートナーとして協力する。その中で、日本の一村一品運動を参考にしながら、地域の特産品であるチョチョ豆(ルピナス科の豆)を使ったパン作りを行ったり、地鶏の加工販売を始めたり、有機肥料を販売したりと泥まみれになりながら必死で活動していました。 当時の私、息子も誕生しておらず、もちろん議員にもなっていませんでした。当時とは場所も環境も全く違う、そんな生活を行っていますが、その根底にあるもの、「地域に根差した活動をすること」、「マイノリティも生きやすい社会こそが誰にとっても生きやすい社会となる」という思いは変わっていない、と改めて思いました。忙しさの中で、振り返ることがあまりできていませんが、自分の原点を忘れずに、感謝の気持ちをもって頑張らなくては、と改めて思う月曜の夜でした。(写真は現地での活動の様子です。)

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