成人の日に思うこと
成人の日、若者の投票を促すためのイベント“「オレたちのほうを向け!」~新成人から政策を聞く~”に参加。このイベント、若者の投票率の低下が進むなか、春の統一地方選に関心を持ってもらえるようシール投票を実施しながら声を聞くというもの。
若い人たちから政治に関すること、選挙に関する関心などを聞き出したい、そんな目的を持ちつつも、最近の成人式、ニュースで採り上げられるのは参加者がお酒を飲んで騒いだ、とか、式典の最中に暴れだした、とかひどいものばかり。もしかして、私達に対してもとんでもないことをされるのでは、とドキドキしながら仲間と駅前の広場に突入。
広場にはすでに式典を控えて色とりどりの素敵な衣装に身を包んだ数百人の若者達が。女性はほとんどが振袖、こんなにたくさんの振袖を来た方がいるのは壮観。男性もスーツや和服、皆さんバシッと決めていて、平日は何の変哲もない広場が今日は別世界のよう。「これは外国人観光客にもおすすめ!」なんてことを考えながらしばし呆然…
眺めているだけでも十分幸せだけれど、それでは来た意味がない。
勇気を出して、華やかな振袖の女性のグループに声をかける。すると、意外にもとっても優しい反応が。皆さん、忙しい中にも関わらず、練馬区の問題について一緒に考えてくれる。私の中の偏見がガラガラと崩れた瞬間。その後も男子グループをはじめ、たくさんの方に声をかけたが、ほとんどの方がとてもいい対応。
その中で印象に残ったのが、一人の女性が話していたまちづくりに関する意見。
その子は武蔵関駅の近くに住んでいるが、現在、駅の再開発計画が進められているとのこと。「新しい町がつくられるのは確かに便利だけど、それよりも昔からある魅力的な小さなお店がつぶれてしまうのが悲しいんです。」一人の若者が、これほど地域のことを真剣に考えている、その答えに胸を打たれた。
ウルフルズの「明日がある」という歌で「近頃の若者は…とよく言うけれど、自分の頃よりだいぶまし」という歌詞があるが、自分が20歳だった頃に比べて、随分しっかりした意見を持っている方が多いということを知り、嬉しい気持ちになる一日だった。
フランスでのテロ
フランスでの出版社などへの襲撃テロの後、複数の都市でイスラム教の礼拝所などを対象とした報復的な攻撃が相次いで起きた。
テロへの怒りを感じるのは当然だが、攻撃や、イスラム教徒に対する差別は絶対あってはならない。これまでオマーン、ヨルダン、パキスタンなどのイスラム教国で援助活動を行ってきた。彼等に話を聞くとたいてい、テロリスト達はコーランを誤解している、と語ると共に正しいコーランの解釈について(こちらがやめてとお願いするまで)熱烈に説明してくれる。彼等は(特に争いの恐ろしさを知っているからこそ)平和主義者そのもの。
日本でも、在日の方を対象としたヘイトスピーチやデモ活動が続けられている。デモでは、聞くに堪えないような罵詈雑言が飛び交う。一体何が起こっているのか。こうした事が起こる一番の背景は、無理解にある。
駅頭演説をしていて、何度かこうした人から声をかけられたことがあるが、彼等は韓国や中国に行ったことはなく、韓国人の友人も持ったことがない。韓国がどこにあるかを知らない人もいる。もちろん十分な歴史認識も無い。だからこそ、教育現場でもっと近現代史を教え、異文化理解について真剣にとりくまなければならない。
エクアドルからの贈り物
エクアドルの友人から少しだけ遅いクリスマスプレゼントが届いた。
包みを開けた瞬間、エクアドルの太陽と高原の香りが…中には、一通の手紙と先住民の人たちの手作りの民芸品。
手紙はとってもシンプルでただ2行、「プロジェクトは順調に進んでいる、そして、私のことをみんな懐かしく思っている」とのこと。しかし、その2行にはすごくたくさんの思いがこめられている、そんな気がした。
目を閉じると、今でもリオバンバの景色が甦る。現地の人と一緒に種をまき、収穫し、パンを作る。私が活動した2年の間に、現地では3名の仲間が若くして命を落とした。一人はお産で、一人は落雷で、一人は栄養失調が起因する病気で。死があまりに身近な世界。だからこそ、生きることもすごくリアルな世界。
今年一年間、あまりにも多くのことがあった。
子どもを授かり、地域での活動を開始した。豊かなはずの日本で、給食を唯一の栄養源とする子どもがいることも、民主主義のあるはずの国で特定秘密保護法案が無理やり可決されてしまうことも、コミュニティの無いはずの東京でも地域の付き合いの温かさがあることも、ここ練馬で弱さを抱えた人々のために人生を捧げている人々がいることも、沢山学んだ。
それこそ、企業で働いていたら一生出会えないであろう個性的で素敵な人々ともつながれた。皆さんに感謝をするとともに、来年は学んだ事を還元できるように全力をつくすことを決意。
クリスマス礼拝
日本キリスト教団大泉教会のクリスマス礼拝に参加した。
家族がクリスチャンのため、結婚以来必ず出席している。
大泉教会には、たくさんの方が集まる。痛みを抱えた人、救いを求める人。人とのゆるーい、または濃いつながりを求める人。私もその一人。
痛みを持つ人も多いからこそ、とても優しい雰囲気。
私はUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)でインターンをしたことがあったが、今年の礼拝では、牧師さんがイエスキリストも(エジプトにいわゆる「迫害」を逃れたように)難民であったことを指摘。その上で、21世紀、特に近年ますます難民が各国で流出してきたことを振り返る。
シリア、アフガニスタン、ソマリア。たくさんの人々がクリスマスを祝うこともできずに避難生活を余儀なくされている。だからこそ、私達は平和を祈りながらロウソクに火をともす。
説教の後、有志が残って各々のリクエストで好きな讃美歌を歌う。音痴だけど歌うのが好きな私にとっては至福の時間。しかし、なぜか今年は私も独唱することに。しかも知らない歌を。キリスト誕生に際して当方からやってきた三賢者の一人を私が歌うことに。焦る私。でも逃げられない。もしかして何とかなるんじゃないか?覚悟を決めて声を張り上げる。どうにもならない。。。結局ジャイアンもびっくりな短くも濃密な時間を過ごす。。。今年も素敵な思い出になった。
パパ、ママで考える・変えるねりまの子育て
12月20日に男の子育てイベント「パパ、ママで考える・変えるねりまの子育て」を開催。当日はあいにく大変寒い上に雨でしたが、おかげさまで参加総数は47名!(その他、雨で来られなかったとメールで連絡された方も他に4名ほどいました!)
第一部のフォトセッションでは、講師の井上さゆりさんが、写真撮影は家族の愛情を深めるための一つの手段であるとの認識の上に、赤ちゃんや奥さまのきれいな写真の撮りかたを講義するとともに、実際に携帯のカメラを使って撮影することを通じて、参加者の方も楽しく技術を学んでいただきました。
また第二部の渡辺さんのレクチャーでは、男性と女性に別れて、家庭内で女性(母親)が男性(父親)に求めているのは何か、を考えるというグループワークを行いました。こうした作業を通じて、夫婦間のギャップが明らかになるとともに、女性が一番望んでいることは、ただやみくもに「家事や育児を手伝う」ことではなく、まずはパートナーとしての妻の体調や気持ちを理解することであり、相互理解のもと子育ての責任を共有していくことである、ということが明らかになりました。
第三部のトークセッションでは男性が育児を主体的に行うために家庭で行えること、そして行政に求めること、と区別しグループごとに議論を行いました。その中で、行政の課題として多く挙げられたのが、待機児童解消、保育の質の維持、病児保育拡充、ワークライフバランスの確保、など、練馬区が抱えている、そして私達も以前から指摘している問題だったと思います。
また、市民の声ねりまの共同代表である池尻さんからは結びの言葉で、長年にわたり議会で子育て政策の改革に尽力してきた経験に基づき、男にとっても子育ては権利であるという考えを示され、それを実現するために、二人を議会に送ることが必要であると主張していただき、大変説得力があったと感じました。
参加者の皆さんからも、「帰宅したら、旦那が真剣に(子育てに)どう協力できるか話してくれて、嬉しかった」「こんなに根本的なことを扱う子育て講座は初めてだった」と言った意見や「ぜひ次は友達の夫婦も連れてきたい」といった非常に好意的な声が寄せられました。
こうしたイベント、ぜひこれからも続けていきたいと思います!
父親の子育てイベントのご紹介
私が副代表を務める「市民の声ねりま」で「オトコの子育て」を考えるイベントを企画したので改めてご案内します。
イクメンってなんだ?男が主体的に子育てするってなんだ?と改めて考える機会になればうれしいです。
メインの講師には「産後が始まった」の著者で年間1000人以上への両親学級もやってる渡辺大地さん。どうやって産後の奥さんの心や体調を理解して子育ての責任を共有できるか?とか、また育児と仕事の両立を奥さんだけじゃなくて男も一緒に考えるか?を話していただきます。
また、それを可能にするには、夫婦間や行政の側でどういうことをする必要があるかとかをみんなで考えるセッションも設けています。その他、ロイター通信社でも働いていたフォトグラファーの井上さゆりさんがご自身の子育ての経験を共有するとと共に、スマホで赤ちゃんや奥さんをどうやって綺麗に撮るかをレクチャーします。
12月20日の13時半~16時、場所は石神井公園の男女共同参画センター「えーる」です。良かったらぜひ遊びに来てください。
資料代は200円、無料のキッズスペースや授乳室もあるから赤ちゃんやお子さん連れの方もぜひご参加ください!
ノーベル平和賞
5年前、パキスタンで開発コンサルタントの仕事をしていたが、ホテルを出る時は
必ず防弾チョッキを着た警察官が付き添っていた。その張りつめた緊張感を忘れることは出来ない。
パキスタンの少女マララさんのノーベル平和賞授賞式があった。
以前 国連でのスピーチ「1人の子供、1人の教師、1本のペン、1冊の本が世界を変える。教育こそがただ1つの解決策だ」は感動的であったが、今回の受賞スピーチでも「戦車を造るのは易しいのに、なぜ学校を建てるのは難しいのか?子供が学校に行けない状況はもう終わりにしましょう」と教育を受ける権利を世界に訴えた。
将来は政治の道を進み、パキスタン首相を目指す意向を表明したそうである。パキスタンの将来に希望が灯ったようで嬉しくなった。
ユニセフは「1500万人の子供が武力衝突に巻き込まれ、14年は世界中の子供たちにとって恐怖と失望の年である」と発表した。
マザーテレサは「愛情の反対は憎しみではなく無関心である」と言ったが、大切なことは世界で起こっていることを正しく知り、そして少しでも声を挙げること。そんなことを地域から続けていきたい。
選挙に行こう!
衆院選も終盤戦。報道各社の調査によると自・公が優勢とのこと。
麻生副総理が応援演説で「高齢者が悪いというようなイメージを作っている人が多いが、子供を産まないのが問題だ」と発言、その後釈明したが、本音の吐露であろう。
ひと昔前は厚労相が「女性は(子供を産む)機械」と発言し、激しい批判を浴びた。
日本の政治は、高齢者に配慮しがちの「シルバー・デモクラシー」と言われる。
背景は、高齢者の人数が若年世代より多く、さらに投票率が高いからだ。
(前回(H24)衆院選投票率は20才代38%、60才代75%だった。)
まさに若年世代はサイレント・マイノリティーになってしまっているのだ。
選挙の公約でも、若年向けは「待機児童を解消するための保育所増設」が目立つだけだ。高齢政治家には「若者の環境」が見えていないのだろう。
「総選挙のとき、無党派層は寝ていてくれた方がいい」と発言した総理もいたのだ。
だからこそ、14日は選挙に行こう!選挙に行かない選択はない!
サポーター集会
12月7日、大泉の勤労福祉会館にて岩瀬たけしのサポーター総会を開催いたしました。始まる前は何人の方が参加して下さるかドキドキしていましたが、蓋をあけてみると90名近い方にご出席いただき、大盛況の内に終えることができました。出席いただいたたくさんの方と、私の思い、考えを共有させて頂けたこと、とても嬉しかったです。
総会は、進藤伸一さんのピアノライブ、私の思い、サポーターの皆さまからのエールの構成でした。
最初のピアノライブでは、私に因んだ曲ということで、”you are mysunshine”と”ボラーレ”を進藤さんに選曲いただきました。特に”ボラーレ”はスペイン語で”空高く舞い上がる“という意味で私が南米に留学していた頃にいつも聞いていた思い出の曲。
その後、これまで途上国の開発に携わった経験をもとに、地域で様々な活動をする方と、ともに歩み、地域全体を繋げたい、その思いから区議を志すことに決めたことを説明させて頂きました。その上で特に、障がいのある方や性的少数者、外国人を含むすべての人に対する差別が無く、違いを分かり合える町、そして、男性が子育てを主体的にできる町、ねりまを作りたい、という思いを共有させていただきました。
皆さんに私の思いをゆっくりとお話させていただくことができたこと、本当に嬉しく思っています。
その後、たくさんのサポーターの方から応援のメッセージをいただきました。地域に長く住まわれている方、若い友人の方、家族、いつもお世話になっている諸先輩など、たくさんの方から激励の言葉をいただき身が引き締まる思いでした。
そして、市民の声ねりま共同代表の池尻成二からのメッセージ。池尻、岩瀬の二人で頑張りたいという思いを伝えてもらいました。
活動はこれからが本番。今後、少しでも広がりを持てるよう、全力を尽くしますのでこれからもよろしくお願いいたします!
若者の投票率
山田昌弘著「なぜ日本は若者に冷酷なのか」を読んだ。
日本は20年を超える経済停滞の間に若者の間で格差が発生(非正規社員30%、ニート60万人、未婚化増大・・・)。そして社会的弱者に転落した若者に冷たい(雇用・社会保障は中高年に厚い)。やさしい親に頼らざるを得ないが、親はいずれ亡くなる。
必然「下降移動社会が到来する」と言う。対策として新卒一括採用の見直し、年金制度改革、子ども手当の拡充、共働き夫婦を支援するための制度の強化などが挙げられている。
「若者に冷たい」政府や社会、このままでは日本はどうなるのか、悲観的になってしまう。
「明るい選挙推進協会」によると、前回衆院選での20代の投票率は37,9%と全体の59%を大きく下回っていた。私が住んでいた中南米の多くの国、投票は義務であり、若者がカフェやバーで政治の議論を繰り広げるのが日常的な風景だった。日本でも同じことを!とは言わないが、若者の意見を政治に反映させるには若者自身が投票所に行って存在をアピールする必要がある。