練馬で暮らす難民のお話 イベントのご報告

9月28日、イベント「練馬で暮らす難民のお話」を大泉教会で開催、今回も50人近くの方にご参加頂けました。 岩瀬事務所では、LGBTQの方や不登校の子ども達など様々な当事者の方をお招きしてお話しを聞く会を実施しています。今回は、縁あってロヒンギャ難民のミョーチョーチョーさんをお招きしました。私自身、大学院で学んでいた時にUNHCR駐日事務所でインターンをしていたこともあり、難民や無国籍の問題は大変大切です。 ロヒンギャは世界で最も迫害された少数民族といわれ、かつミャンマー政府から国民として認められていない「無国籍者」でもあります。ミョーさんはミャンマーで民主化運動に高校生の時から関わり、二十歳のときに日本に難民として逃れてきた後、18年わたって日本で生活してきましたが、やっと最近になって一時保護のような措置が得られたとのこと。 無国籍ということは、多くの場合、私達が当然だと思っている事が出来ないということ。子どもが生まれたら登録したり、結婚したり、身分証明書やパスポートを得たり、自由に移動したり。ミョーさん自身も、ご自身がロヒンギャであるということで、国民登録証が得られず愕然としたとのこと。 日本に着いたときは、ようやく安全で安心な国で暮らせると思ったそうですが、その後、二度も入管施設に収容されるなど、本当に苦しかったとのこと。ただ、そんな中にあってもなお、日本人はみんな優しい、私が辛い思いにあったからこそ、日本で辛い立場にある人のために役に立ちたいと仰っていたのが印象的でした。 仮放免中は携帯も契約できず、家族となかなか連絡がとれなかったこと、働けないのでボランティアの方の家に泊めてもらう等の綱渡り状態だったことなどを聴いて、仮放免や最近施行された監理措置中の生活手段の確保の課題の大きさを感じました。 私からは、練馬区でも28名の仮放免の方が暮らしている事や、外国籍の子ども達も増えている中で日本語を指導する場所や環境が整っていないことなどをお話し、私達が地域で出来ることに例として、募金や難民支援協会の「難民アシスタント養成講座」の受講とサポーターへの登録などを訴えました。 私が議員を志したこと理由の一つが、地域で暮らす外国籍の方の人権を保障したいという思いです。練馬区でも在留資格のない人々への生活支援や、ヘイトスピーチ禁止条例の制定を含めて、今後も訴えていきます。

キックオフ集会、ありがとうございました!

統一地方選挙を5か月後に迎える中、岩瀬たけしのキックオフ集会を行いました。気温が下がり、雨も降る中にも関わらず、予想していた以上の多くの方にご参加いただけて本当に有難かったです。 […]

キックオフ集会のご案内③。LGBTQの当事者の方の声「私たちは家族ではないのでしょうか?」

今度の日曜に岩瀬たけしのキックオフを行います。私から思いを訴えるとともに、LGBTQの方、シングルマザーの方、HIV陽性の方、精神障害の方など様々な当事者の方からお話を伺います。今回はこれまでに伺ったLGBTの方の訴えをご紹介します。 […]

キックオフ集会のご案内② 精神障害の方の声「長年の知り合いの方にも病気のことを話せませんでした」

11月20日㈰の14時から岩瀬たけしのキックオフ集会を行います。私からのご報告のほか、LGBTの方、精神障害の方、HIV陽性の方、シングルマザーの方などそれぞれの当事者の方からお話を伺います。今回は精神障害の方のお話をご紹介します。 […]

山梨英和大学でのお話

山梨英和大学の講師を勤めているお友達にお招きいただき「地域づくりの理論と実践」の授業でゲストスピーカーとしてお話させて頂きました。コロナ禍で地域で発生する課題について、練馬区の事例などを交えながらお話しました。 […]

誕生日、44歳になりました

誕生日、44歳になりました。 ちょうど20年前、24歳の誕生日はニカラグアのレオンで迎えていました。 大学4年生の夏、将来に迷ったまま、再び日本を飛び出しました。バックパッカーとして2か月間、グアテマラからパナマまでのバスの旅。必要最低限のものしかもたず、どこに泊まるかもわからないまま、町から町へと移動する。その時に一番大切にしていたのが各地で出会う人々との会話や繋がり。ストリートチルドレンと仲良くなってパパイヤを分けてもらって一緒に路上で食べたり、行商の方から生い立ちについて伺ったり。どんな境遇でも人生を楽しもうとする彼らの強さに惹かれるとともに、現在に繋がるマイノリティの方々への支援をしたいという思いが生まれたのだと思います。20年後に自分が区議になっているとは想像もしていませんでしたが、様々なご縁や繋がりで今の私があると思っています。今まで出会った全ての方に感謝しながら、今後も自分の心の声を大切にして生きていきたいと思います。  

HIV陽性者のお話 「ひとりの人間として見てください!」

私の活動の信念「マイノリティが住みやすい社会こそ、誰にとっても住みやすい。」その思いを実現するために様々なマイノリティの方からお話を伺う機会を持ってきました。(過去のイベントはこちら) 昨日はHIVの陽性者をお招きしました。私と同世代、お子さんもいるという彼ですが、最初にお会いした時の印象は、すごいガタイ...。ものすごい筋肉と体中にたくさんのタトゥー。ただ、私が活動していた中南米などではタトゥーはごく一般的です。お話するととても繊細で優しい方で、ZOOMのイベントもすごく緊張する…と仰っていました。その方が涙を流しながら「HIVの感染者ではなく、ひとりの人間として見て欲しい」と話す姿に胸を打たれました。 彼は建築現場でずっと働き、3年前に職場で吐血、病院でHIVに感染していることがわかったそうです。しかし、知識がなくもう死ぬしかないんだ、と治療を拒否して1年半、病名を隠して働き続けたとのこと。その結果、悪化して体が動かなくなってしまい、どうしようもなく近くのクリニック(診療所)へ行ったとのこと。そこで会った医師に「絶対に生きろ!」と言われたことで、初めて病気に向き合う気持ちになれたとのことでした。しかし、勇気を出してHIVの感染について会社に話したら翌日クビにされたとのこと、私も涙が出そうでした。その後、支援団体である「ぷれいす東京」と出会い、はじめてHIVは治療が可能であるということ、U=U(Undetectable = Untransmittable) の事を知ったとのこと。詳細はこちらをご覧ください。https://hiv-uujapan.org/ U=Uとはエイズウイルスを検出限界値まで抑えられたら、感染させることはないということで、例えば感染者同士で子どもを授かっても子どもは陰性であるとのことです。これらは、あまり知られていない事実です。だからこそ、自分に残された人生をHIVへの差別や偏見を無くすために捧げようと決意したとのことです。多くの感染者の方は差別や偏見を恐れて感染の事実を公表しませんが、彼は顔も名前も公開して訴え続けています。彼自身、現在は検出限界値までエイズウイルスは下がっているものの、治療が遅れたため、免疫はまだまだ低い状況であって、病気にかかるリスクは高いとのことでした。 ぷれいす東京の代表の生島さんのお話も印象的でした。日本では毎年1300名程度の感染が発覚するが、そのうち発症前に保健所等の自主検査でわかるのは3割程度とのこと。また、感染者のうち5人に1人程度は自身が感染していることに気付いていないとのことでした。 コロナの感染が猛威を振るい、コロナ感染者への差別や偏見が深刻化するなか、学ぶこともとても多いものでした。ぜひこうした機会を通じて、少しずつでも地域から変えていきたいと思います。

<大ピンチです!「マイノリティの住みやすい街は誰にとっても住みやすい」応援をお願いします!>

いよいよ練馬区議会議員選挙の投票日まであと一週間ちょっと…。今の見通しは…正直メチャクチャヤバいです! 4年前、奇跡的にギリギリ当選することができましたが「二期目は票を減らす」というのが選挙の格言 が、凹みながらも、「私がそれをやらないと議員になった意味がないんで!」と答えてきました。マイノリティの住みやすい街は皆も住みやすい。この4年、土日はもちろんほとんど休まず、雨の日も雪の日も週3日以上駅に立ち、議会ごとにかわら版で情報を発信し、皆さんとの意見交換会などを通じて、地域の問題に取り組んできました(成果はこちら)。皆さんに届くことを信じてます。あと一週間、ぜひお友達やお知り合いにお声がけください!    

<レインボーのタスキが繋ぐもの>

私が一番訴えていることの一つが多様性の尊重。そのシンボルとしてレインボーのタスキをつけて地域をまわっています。でも、「男のくせに何やってるんだ!」と罵声を浴びることも。 やはり凹みます。 そんな土曜の午後、スーパーの前で訴えをしていたら、若い方が私のところへ。「実は私はLGBTです。レインボーのタスキを付けて話している姿を見て、すごく嬉しくて声をかけたんです。」とのこと。普段は政治にも興味を持っていなかったけど、勇気を出して話してくれたということで、すごく緊張されているようでした。決して一人ではないということをお伝えして連絡先を交換しました。必要としている方に少しでも思いが届いたという事、辛いことも多いですが、議員になって良かったと心から思いました。そして、レインボーのタスキ、輝いて見えました。(写真は友人でカメラマンの竹花さんが今日の午後撮ってくださったものです。)

2019-04-06T22:37:17+09:002019年4月6日|Tags: , , , , |
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