中村哲医師 追悼イベント 死んだ男の残したものは

昨年の12月、アフガニスタンで亡くなった中村哲医師の追悼イベント、「中村哲先生をしのぶ会実行委員会」(市民の声ねりま協力)が実施しました。当日は600人の会場でしたが1,500人近くの方にお越しいただきました。多くの方がお入りになれず本当に申し訳なく思いながら会場の準備をさせて頂きました。 【1.中村哲先生の最後のメッセージ】 会では中村先生にゆかりのあった方々がそれぞれ故人の思い出をお話されました。 一番印象的だったのは歌手の #加藤登紀子 さんでした。彼女は絶筆となった「信じて生きる山の民 アフガニスタンは何を啓示するのか」の一節を以下のように引用しました。 「約18年前の軍事介入とその後の近代化は結末が明らかになり始めている。アフガン人の中にさえ、農村部の後進性を笑い、忠誠だの審議だのは時代遅れとする風潮が台頭している。近代化と民主化はしばしば同義である。(中略)人権は叫ばれても、街路にうずくまる行き倒れや流民への温かい視線は薄れた。(中略)国土をかえりみぬ無責任な主張、華やかな消費生活へのあこがれ、終わりのない内戦、おそいかかる温暖化による干ばつ…終末的な世相の中で、アフガニスタンは何を啓示するのか。見捨てられた小世界で心温まる絆を見出す意味を問い、近代化のさらに彼方を見つめる。」 【2.加藤登紀子さんの言葉】 中村さんが戦っていたのは、単に飢えや干ばつではなく、社会そのものだったのではないか、それが加藤さんの訴えでした。 そのあと、中村さんへ捧げる歌としてアカペラで谷川俊太郎作詞の「死んだ男の残したものは」を歌いました。私も若いころ谷川俊太郎が大好きでバックパッカーや協力隊などで海外に行くときには詩集を持ち歩いていました。この詩も大好きなものの一つでしたが、加藤さんが力強く歌うことで中村さんの姿が浮かぶようでした。 「死んだかれらの残したものは 生きてるわたし生きてるあなた 他には誰も残っていない 他には誰も残っていない 死んだ歴史の残したものは 輝く今日とまた来るあした 他には何も残っていない 他には何も残っていない」 中村先生の偉業に比べたら、あまりにも非力ですが、私も与えられた場所で自分のできることをやり続けたいと思います ta

住まいは権利、ハウジングファースト!「福祉は住宅に始まり住宅に終わる」

「ねりま9区みんなで選挙(ねり9)」主催のイベントに参加。立教大学の準教授で一般社団法人つくり東京ファンド代表理事の稲葉剛さんのお話のあと、立憲民主党の山岸一生さん、弁護士の野口景子さんも加わったパネルトークが行われました。皆さんの意見、とても勉強になりました。 1. “見えない“ ホームレスが増えてる? 稲葉さんのお話では、近年、年末年始になるとホームレスが急に増加するとのこと。普段はネットカフェなどで暮らす方が仕事が切れてしまい路上生活になってしまうからだそうです。現在、都内の路上生活者の方は1,100人程ですが、いわゆる「ネットカフェ難民」と呼ばれる方は4,000人以上(2017年)に達し、そのうち20~30代が5割を占めるそうです。 2. 家がないってどういうこと? 家(住所)がないことの一番の問題は、履歴書が書けないこと。求職活動をしても住所がないことで仕事に就けないことが多いそうです。また、本来あってはならないのですが、住所がないことで生活保護などの公的サービスから排除されることも多くあるとのこと。本人にとっての精神的なダメージも大きく、親や友人との人間関係も壊れてしまうことが多いとのことでした。ホームレスに至らなくても、低所得層の方の8割近くは親と同居せざるを得ず、孤立して引きこもりになってしまう方も多いとのことでした。 3. 何が問題なの? 稲葉さんによると、行政による支援の大きな問題の一つは、住まいの確保が福祉の観点からかけていることだそうです。福祉政策は厚生労働省が、住宅政策は国土交通省が担っていますが、両者の連携が薄いこともあり、社会保険や生活保護中心の支援となっており、住宅政策は基本的には中間層の持ち家取得支援に資源が集中しています。2017年には空家を利用した空家活用型住居セーフティネットが導入されましたが、2017年に開始したものの現時点でも登録は東京都でもわずか1575件ととても活用されているとはいえません。 結論:ハウジングファースト(まずは住まいを!)! ヨーロッパでは「福祉は住居に始まり、住居に終わる」と言われており、福祉政策の中心に住宅の確保があるとのこと。日本でも行政の縦割りを超えて、公営住宅の拡充や民間賃貸住宅入居者への家賃補助制度の導入などが必要とのことでした。 また、山岸さんのお話では社会全体で住まいがかつては「持ち家」中心だったのに対して、現在は「賃貸」が中心になろうとしているにもかかわらず、いまだに政府の支援は「持ち家」中心の考えから抜け出していない。政府として住宅に関する考え方を変えて、賃貸でも老後でも安心して暮らせるようなモデルを作るべきとのことでした。 野口さんも弁護士として活動する中で、「政治が家族に頼りすぎている」ということと「住まいは個人の甲斐性で!」という考え方が強すぎるということを感じているとのことでした。 欧米では「ハウジングファースト(まずは住まいを!)」の考え方で、最初から人権やプライバシーに配慮した形での支援が行われます。他方で、日本ではまずは施設に入ることが求められ、相部屋で劣悪な環境を強いられることも多数見られています。持ち家から賃貸へとライフスタイルが変わる中で、国も賃貸を前提とした支援を行うべきですし、地域にあっても区営住宅などの入居要件の緩和や空家等による対策が必要だと改めて思いました。

ゲノム編集ってなに、遺伝子組み換えと何が違うの?地域で何ができるの??

【イチから学ぼう!ゲノム編集、遺伝子組み換え、地域で、あなたができること】 市民の声ねりま主催、「たねと食とひと@フォーラム」の方を講師に #ゲノム編集、#遺伝子組み換え の勉強会を行いました。最近話題のゲノム編集、実はほとんど規制がないまま、私たちも知らずに口にする可能性があるということを初めて知りました…。企画のほとんどを準備してくださった高口ようこさん、本当にありがとうございました! 【ゲノム編集って何なの?遺伝子組み換えとどう違うの】 ゲノム編集と遺伝子組み換えの最大の違いは、遺伝子組み換えでは、DNAに他の生物の遺伝子を加えることで新たな性質を持たせるのに対して、ゲノム編集では、すでに存在するDNAの一部を取り除いて、特定の働きを抑えるというものです。ごく簡単にいえば、遺伝子組み換えは新たに遺伝子を足す、ゲノム編集は既にある遺伝子から減らす、ということでしょうか。 【ゲノム編集するとどうなるの?】 例えば、さばは生まれつき攻撃性が高くて、養殖しても共食いして一か月で1割以下に減ってしまうとのこと。そこでDNAの一部を取り除いたところ、攻撃性が抑えられて4割が残ったとのことです。そのほか、マダイから筋肉が増えすぎるのを抑える遺伝子を取り除て肉厚なマダイが取れるようになったなどの結果が出ているとのことです。 【ゲノム編集、何が問題なの?】 一番の問題は日本ではゲノム編集は遺伝子組み換えとは違って政府による規制がないということです。すでにあるものから一部を除くだけで特に問題ない、というのが基本的な考えのようですが、技術自体が浅いもので長期的にどんな影響が出るかはわからず、間違えて違う遺伝子を切ってしまうことで他の影響が発生することもあります。また、一度編集されてしまったら連鎖が次の世代にも続くことになりますが、例えばそれが海に放たれてしまったら、どんな影響がでるか想像できません。私たちが購入する際にも、表示義務がないので、ゲノム編集されたものかどうかわかりません。 【結論】 ゲノム編集についての技術が確立していない中で、まずは開発について届け出を義務化するとともに、少なくとも消費者が選べるようEU諸国に倣って表示も義務化されることが必要です! また、白石農園の白石さんから伺う練馬の農業についてのお話、海外に比べたときに練馬の農家の方々は農地は引き続ぐもので預かりもの、資産ではなく資源として考えている方が多いといった話も印象的でした。スノウドロップさんの体によくて美味しいお菓子の販売などもあり、素晴らしい会でした☺

和田春樹 先生のお話 “Eternal vigilance is the price of the liberty”

毎年恒例の「 平和を愛する大泉市民の集い 」の新年会に参加しました。この会はベトナム戦争に反対するために東大教授だった和田春樹さんが立ち上げた会で、私の義理の両親も参加していました。例年お声がけいただき、参加するのは今年で5回目になります。 和田さんのお話、特に1月23日の朝日新聞にもコラムとして掲載された 桜を見る会 の名簿紛失に関してのものが印象的でした。 1. 政府がこれまで隠蔽したことに比べたら桜を見る会は小さなこと?? 和田さんによると日本政府がこれまで隠蔽してきたことに比べると、桜を見る会の名簿紛失は小さなこと(!)のことでした。日本はこれまでも「都合の悪いものを隠す専門家」だったとのことで、その一つが 北方領土 に関するものだそうです。日本政府は現在、サンフランシスコ平和条約でクリル列島について日本政府は主権を放棄したものの、北方四島はクリル列島には含まれないので返還を求めている、と主張しています。しかし、1955年までは、日本政府は択捉島、国後島をクリル列島の一部として認めていた、とのことでした。 2. 北方領土問題、なぜ4島返還の議論になったの? そのため日ロ交渉においても、当初は二島返還のみの協議が行われており、1955年にフルシチョフと鳩山首相のやり取りの中で変換がほぼまとまりかけたとのこと。しかし、ソ連との接近を恐れた吉田元首相と米国政府が、交渉を決裂させるために4島返還へと急に舵を取ったとのことでした。クリル列島に二島が含まれるという見解の公文書は国内では削除してしまったとのこと。しかし、海外での公文書博物館ではかつての日本の見解が残っているとのことです。 2019年末には二島返還について重光外相とダレス米国務長官が1955年にやり取りした内容について、64年ぶりに公開されましたがその内容も未だにほぼ黒塗りになっているとのことです。和田さんによると、北方領土問題についても「都合の悪い資料は焼く、捨てる、削除する」ということが繰り返されているとのことでした。 結論 政府が資料を隠蔽しようとすることを、市民として監視しなければ! 米国の公文書館には”Eternal vigilance is the price of liberty”「永遠の監視は自由を得ることの代価」と示されているとのことです。公文書の公開を求めるという権力監視を怠れば、国民の自由は必ず侵されるとのことであり、まさに今の安倍政権にもあてはまるとの言葉はとても印象的でした。 区議会においても、委員会の資料を当日まで委員にも公開しない、傍聴者には資料を提供しないといったことを改めるよう何度も求めてきましたが、いまだに前に進みません。広く情報が開示されて、市民が監視できるような体制を地域からもしっかりと作られるよう、訴えていきたいと改めて思いました。

【オランダの滞在】オランダの教育、 子どもの権利が中心です。練馬区ももっと教育に予算を!

先週までのオランダでの滞在中、子どもの権利の専門家として博士号を持つ大学の助教授、現地で子育て中の日本人の方、ブラジルから移住した方などからオランダの義務教育のお話を伺うとともに、現地の学校にもお邪魔しました。 1.「子どもが世界一幸せな国」のオランダ、モンテソーリやイエナプラン、小学校では好きな教育が選べます! オランダは「子どもが世界一幸せな国」とされる一方で、世界で最も教育水準が高い国の一つでありPISAや世界人材ランキングにおいても常に上位となっています。 オランダの教育の特徴の一つが、指導方法が日本のように学習指導要領などで細かく決められているのではなく各学校に任されていること。同国の憲法で「教育費無料」「学校における教育方針の自由」「学校における宗教・信条の自由」などが保障されています。そのため、いわゆる標準の小学校のほか、モンテソーリやイエナプラン、デモクラティックスクールなどの原理に基づくもの、そしてカトリック・プロテスタント、イスラムなど、宗教に基づくものなど様々あって、それぞれが公立か私立かを問わずとして政府から予算を受け、好きなタイプの教育を家族が選べるそうです。これは1930年代、地域ごと、宗教ごとに多くの学校が誕生し、それを抱擁する形で現在の仕組みになったとのことです。 2.生徒が先生に意見をすることが先生にとって一番の喜び…日本と全く逆です。 前述の助教授の方は高校でも教鞭をとっていますが、特に印象的だったのは、オランダでの学習の目的はその子が自分らしく育つことであり、好きなことを仕事にして、「楽しく、幸せに生きる」ためである、という言葉。ペーパーや記憶力の重視ではなく、日常生活と勉強を結び付け、勉強が好きになるための教育をしている、という言葉でした。音楽や体育、工作等含め、得意なことを伸ばし進みたい道に進むために、その子に合わせた学校やプログラム選びをさせ、なぜその勉強が必要なのか納得して進んでもらうのが重要とのこと。そして先生と生徒の立場がフラットで、先生の考え方に懐疑的な意見をすると先生が喜ぶとのことでした。批判的意見を言うというのは子どもがそのことに関心を持ってくれたからであり、それが教師として成功だと感じられるとのことでした。政治についても夜の8時のニュースで流れる現在審議中の法案についてや、選挙前に各政党の候補や政策等についてなど、学校で解説・議論することもあるとのことでした。 3.日本の学校のブラック校則について、子どもの権利はどこにあるの? 日本の体罰やブラック校則の話などをしたら驚いていました。目的と理由が明確でなければ生徒は従う必要はない、なぜ下着の色や髪の毛の色が決められなければいけないのか、と生徒に問われるのが必至であって、成立し得ないとのことでした。一人の人間として尊重されていないのではないか、子どもは学校や親の所有物ではない、という言葉は印象的でした。オランダでは生徒にもある程度の自治が与えられていて、生徒会の役員は学校の運営会議などにも参加し、学校の方針などにも一定の意見を言えるようになっています。 4.なぜオランダではこのような教育が可能なの?十分な予算がかけられているからです。 そのような教育を実現するためにオランダでは教育に十分な予算をかけているというのが重要です。一クラスの生徒は25人までで教師は必ず二人以上、複数担任制をとっています。また、小学校のうちは子どもの時間を豊かにするために週のうちの二回は授業が午前中のみで午後はスポーツを含めそれぞれが自由に過ごしています。また、通常宿題はないというのも大きな特徴です。 結論.練馬区ももっと教育に予算を! 練馬区では子どもの数が”少ない”といって一クラスの人数は変えずに学校の数を減らそうとしています。また、教員の負担も大きくなる一方で、職員の増加は行われておらず、公務員の中で最も心の病によって休職する比率が高いのも教員です。今のシステムの中で教員が一人ひとりの子どもたちと向き合うのは不可能です。だからこそ、区は道路や表面的なイベント等を連発することではなく、教育にこそもっと予算をかけるべきです。(写真はマーストリヒトのモンテソーリ式の学校と現地の市役所です。)

★イベント【児童相談所ってどんなところ?】 子どもの権利を守るため練馬区にも児童相談所を!

1.23区で唯一、区としての児童相談所の設置に反対している練馬区 近年、児童虐待の相談件数は急増しています。そうした中で2016年には児童福祉法が改正されて、児童相談所が23区でも独自に設置できるようになりました。これを受けて22区では児相設置に向けた議論が進んでいて、江戸川区、世田谷区、荒川区では今年の4月には開設の予定です。そんな中、23区で唯一、児童相談所を区としては設置する意思がないとしているのが練馬区です。今回のイベントでは東京都の職員として児童相談所行政に長く携わり、現在も虐待対策コーディネーター等として活躍されている斎藤幸芳さん、NPOや新宿区の子ども総合センターで外国ルーツのお子さんなどの学習支援などを行っている平田康郎さん、そしてご自身も一時保護所 に3回送致され、児童養護施設で育った20代の方をお招きしてそれぞれのご経験、立場から児童相談所のあり方について話を伺いました。 2.児童相談所の設置を求める声は「政治的パフォーマンス」?→あまりにひどい区長の発言です。 区長は区民向けの広報誌(ねりま区報 平成29年10月1日号)の中で、児相の設置を求めた私たちに対して以下のように述べています。 「特別区に児童相談所の設置を求める方々がいますが、それが何故、子ども達を救う事になるのか、説明はありません。養護施設入所児は都内で3千人未満、保育所入所児の27 万人とは桁違いに少なく、施設は少数で都の内外に分散しています。処遇にも専門性が必要で、広域行政の性格が強いのです。(中略)無力で不幸な子ども達を利用した「政治的」パフォーマンスを絶対に許してはならない。若い日に出会った子ども達の笑顔を思い浮かべては、心に誓っています。」 政治の場において意見が異なること、対立することは当然あります。しかし、大事なことはたとえ異なったとしても相手の意見を尊重することではないでしょうか。児相を求める意見を「政治的」パフォーマンスと断定し、区の広報誌で訴えることは決して望ましい姿ではありません。 3.なぜ練馬区に児童相談所が必要なの?→それは、自治体が各家庭の事情を一番知っていて、一番丁寧に対応できるからです。 区長が問うている「なぜ、練馬区を含めた特別区が児童相談所を作ることが子どもを救うことになるのか?」について、一番大きな理由は誰よりも子どものことがわかるのは自治体だからです。現在、23区には7カ所しか児童相談所がなく練馬区の子どもは新宿区の児童相談センターが対応しています。しかし、虐待やいじめなどは、自治体の中で起こっていることです。自治体内で、情報を収集し、共有し、対応して行くことがスピードも早いですし、適切な対応が可能になります。近年発生している虐待死などの重篤なケースの中にも児童相談所と自治体で情報が適切に共有されていなかった、ということも多くありました。このことは横須賀市の児相を訪問した際に担当者が言っていた「地域の子は地域が守る」という強い言葉にも象徴されています。現在の都の児童相談所では一人の職員が100名以上のケースを担当しているといわれていて、とても一人ひとりに対応することは不可能です。 4.一時保護の数は増えていないから問題ない?→東京都の一時保護所は定員を超えていて、入所できないケースもあります。 練馬区は虐待された児童の一時保護について、「2013年度が約970件で、2017年度は約1200件。通告件数の伸びに比べればそれほど増えていない」としていますが、そもそも東京都の一時保護所はすでに定員を超えており、入所ができなかったケースも数多くあり単純に一時保護された数だけを見て判断するのは非常に乱暴です。 5.一時保護をされた方の悲惨な経験。子どもの権利はどこに?→自治体で理想的な一時保護所を作るべきです。 一時保護所で保護された方々の経験も壮絶なものでした。保護所ではすべての所有物を取り上げられ、紙や鉛筆も自由に使えないという事です。教育を受ける権利も満たされておらず、学校の先生ではなく職員から教わるということ。小学生で保護された方は、ひたすら漢字の書き取りをさせられて、終わらなかったらその枚数の分だけグランドを走らされたとのことでした。「刑務所のようなところだった」という感想もありました。一時保護所は子どもを保護する場所であり、罰を与える場所ではありません。これほどまでに子どもの権利が侵害されているということに衝撃を受けました。だからこそ、理想的な一時保護のあり方を改めて議論することも含めて、地域の中に児童相談所を作ることが必要だと思います。 結論.これまでの児相を変えるためにも、新たな児童相談所を練馬区にも作るべき! 現在の児童相談所も多くの課題を抱えています。だからこそ、それを変えていくためにも、区として児相はどうあるべきか、子どものためという原点に立ち返り、みなが考える時だと思います。児相の課題を出し合い、子どもたちのために児相を創り変えるのです。子ども権利を念頭に、理想の児童相談所を練馬区で作ることこそが現在求められていることだと改めて思いました。

妻が博士になりました #マーストリヒト大学 #オランダ での滞在

オランダでの滞在、一番の目的は妻の法学博士号取得の最終試験を応援すること。彼女が高校生の時に亡くなった父親の夢でもありました。結婚や子育てで本人の夢を絶対にあきらめて欲しくないと思っていました。かれこれ7年前くらいから細々と研究を始め、ここ数年は残業の多い仕事も両立しながら、毎朝4時台に起きて勉強を続ける日々。私の仕事とともに彼女の研究が進むように、家事・子育てもシフトを組んで、家族一丸となって頑張ってきました。口頭試問は私たちも傍聴できるのですが、一番緊張していたのは息子。言葉の意味はほとんど分からないながらも一番前に座って1時間半ほど、ジーっと質疑を聞いていました。そして途中途中で私の耳元で「ママ大丈夫?もうハカセ?」と心配そうに聞いてきます。合格が決まったときには大喜びしていました。テーマは「父母がともに知れない子の国籍」。無国籍の防止を目的に、193か国の国籍法と一部運用の比較もして、画期的な論文と評価されました。心から誇りに思います。

【オランダでの滞在】LGBT先進国 オランダと練馬の違いを実感…。

世界で最もリベラルな国の一つと言われるオランダ。 滞在中に現地の専門家からLGBTの政策について案内してもらいました。 オランダでは1998年に パートナーシップ制度 が認められ、2001年には世界で初めて法律で 同性婚 を認めています。この点だけ見ても、いまだにパートナーシップ制度すら認めようとしない練馬区とは20年以上の差がついています。2005年には同性カップルによる養子縁組も認められていて、国民の90%以上がLGBTに対して肯定的に考えているという調査結果が出ています。同性婚の方の代理出産などにも国から補助金がでるとのこと。国際NGOが行った調査でもオランダは世界で最もLGBTにフレンドリーな国の一つに選ばれています(同じ調査で日本は55位)。 とはいえ、常にLGBTに社会が寛容だったわけではなく、その権利を勝ち取るために多くの運動や戦いがあったとのこと。1800年代にはナポレオンにより占領され、その中でソドミー法が成立。同性婚は厳しく罰せられました。その後のナチスによる侵攻の中で同性愛者はユダヤ人とともに迫害を受け、多くが強制収容所でも亡くなっています。 こうした経緯を踏まえ、戦後にはナチスによる殺害を追悼する世界で初のモニュメントとして「 #ホモモニュメント 」が建てられています。性的マイノリティでオランダに移住された方は言っていました。、「オランダに来て初めて日本ではどれほど自分の人権が守られていなかったか実感した」と。「日本では友人に恋愛の悩みも話せない。大切な人と手を繋いで歩くこともできない。結婚しないと出世にも関わる。子どもがいないと一人前じゃないと言ってくる人もいる。」そんなことが当たり前ではないと初めて腑に落ちたとのことです。日本でも微力ながらも何とか当事者の方が自然に自分らしく暮らせる環境をつくるために頑張りたいと思います。

【 アンネフランク の家の訪問】「私が私として生きることを、許して欲しい。」

オランダでの滞在、最初に訪問したのがアンネフランクの家。初めて「アンネフランクの日記」に出会ったのは小学校高学年の夏休み。自分と同世代の女の子がナチスに捕まって殺される恐怖を日々感じながら屋根裏で生活せざるを得なかったこと、そしてその中にあっても小説家になる夢や戦争が終わる希望を持ち続けていたこと。たまたまユダヤ人に生まれただけで迫害を受けることに、ものすごい衝撃を受けました。戦争が日常をどれだけ破壊するかを初めて知り、それが今の私の活動の原点にもなっています。 公開されているアンネの家は1942年から約2年間、ナチスの迫害から逃れるため隠れ家として住んでいた家を利用したものです。外装は改装されていましたが、内部は本棚の後ろに隠された扉やそこに続く隠れ家などがそのまま再現されていました。お父さんの事務所の中に作られていたということで、外に音が漏れないよう朝8時半を過ぎると音を立てないよう声を潜め、トイレを流すことも儘ならなかったとのこと。一番印象的だったのは彼女の部屋の壁に貼られていた大好きな俳優などの写真の数々。日常の楽しみを思い出すことが彼女を支えていたのでしょう そしてもう一つ印象的だったのが自分の命を危険にさらしながらも、彼女たちを匿い続けた人々のことです。支援者の一人、ミープ・ヒースは「人間として当然のことをしただけ」と。 アンネは、これほど辛い環境にいながらも「たとえ嫌なことばかりでも、人間の本性はやっぱり「善」なのだということを私は今でも信じている。」と書いています。もし同じ環境に陥ったとしたら私は同じことをできるだろうか、と、改めて考えていました。 アンネの有名な言葉「わたしが私として生きる事を許してほしい。」、それは現在でも大きな課題として残っています。地域の中でもヘイトスピーチをはじめ、それぞれのあり方を否定するような言動が増えています。規模やレベルは違えど、改めて、自分の持ち場で差別に取り組まなければと思いました。

オランダ への旅

妻の大学院(博士号)の最終試験のため、今日からオランダへ行きます。 かれこれ6年くらい細々と、仕事と生まれたばかりの息子の子育てを頑張りながら博士号取得のために頑張ってきた妻。毎朝4時台に起きて勉強してきました。さらに私の区議としての活動も陰ながら支えてくれて、こんなにすごい妻に心から感謝です。博士号を取るための口頭試問、ぜひ応援しなくては!ということで家族で一週間ほど一緒に行きます。とはいえ、せっかくの機会、ただの旅行にはなりません。世界で初めて同性婚を法制化した国ですのでLGBTの活動について現地の方に案内頂いたり、イエナプランで有名な現地の教育システム、児童福祉等についても現地の方々から勉強してきたいと思います!

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