聖火リレーの予定コース、3,800万円をかけ改装…。必要だったのでしょうか?
先日、区民の方からこんな相談がありました。 「4月ごろから近くの歩道で工事がスタート。夜中の2時頃まで行われていて、うるさくて困っていました。そもそも、この歩道、とても綺麗だったのになぜ急いで工事する必要があったのでしょうか?調べてみると、中止された聖火リレーの予定コースにもなっていました、オリンピックと関係があるのでしょうか?」 […]
先日、区民の方からこんな相談がありました。 「4月ごろから近くの歩道で工事がスタート。夜中の2時頃まで行われていて、うるさくて困っていました。そもそも、この歩道、とても綺麗だったのになぜ急いで工事する必要があったのでしょうか?調べてみると、中止された聖火リレーの予定コースにもなっていました、オリンピックと関係があるのでしょうか?」 […]
区議会最終日、野党4会派で「感染拡大の懸念を払拭できない限り、東京オリンピック・パラリンピックの延期または中止を求める意見書」を議会に提案しました。提案したのはインクルーシブな練馬をめざす会、日本共産党練馬区議団、練馬区議会立憲民主党、オンブズマン練馬、の14名。 結果は賛成15名に対して、自民党、公明党など35名の反対で否決。しかし、区議会でオリパラへ反対の声をあげたことには大きな意義があったと思います。区議会では、皆さんのご意見を頂きながら私が提案理由の説明を行いました。訴えの要旨をご報告します。 […]
今年、中学校に入学した保護者から、こんなご相談を頂きました。 「コロナ対策で毎日洗濯をしたい、でも学校からは標準服か体操着でなければダメとのこと。でも体操着も購入すると一着1万円近くします。なぜ私服ではダメなのでしょうか?」 標準服の着用が実質的に義務付けられるのは、経済的な負担もさることながら、憲法の原則の一つである「表現の自由」をも侵されるものです。 […]
昨日、一人親の方からご相談を頂きました。 「今年3月に発表された国のひとり親世帯への特別給付金(5万円)、ようやく貰えると思ったら受け取るための書類があまりに多くて、給与明細書なども出さなくてはいけないとのこと。一人親でただでさえ忙しいのに、途中であきらめようかと思いました。全然、一人親に寄り添っていません!」 […]
現在の練馬光が丘病院が、光ヶ丘第4中学校のあった場所へと移転することを受け、病院のあった建物等をどうするか議会で議論されてきました。1月15日(金)の医療・病院整備等特別委員会において、跡施設を新たに運営する事業者が決定、病院だけでなく専門学校もできるなど、内容が示されました。これまでの議論はこちらをご覧ください。 https://iwasetakeshi.net/2020/07/hikarigaoka-hospital/ 1.事業者は? 公募の結果、光が丘病院の跡地を運営するのは医療社団法人 慈生会(http://www.jiseikai.or.jp/)を中心とした団体に。慈生会は板橋区を中心に展開しており、区内では練馬高野台病院、練馬駅リハビリテーション病院を経営しています。 2.跡地はどうなるの? まず、157床の病院が設置されます。地域包括ケア病床(50床)のほか、区内で初めてとなる緩和ケア病床(16床)も設置。また、区内初となる介護医療院も設置されます。こちらは日常的な医学管理が必要な重度介護の方を対象となる施設です。病院では内科、老年心療内科、外科、緩和ケア内科、リハビリテーション科が入院、外来の対象になります。 その他、大きな特徴として専門学校が併設、介護福祉士養成施設として1学年40名、合計80名が学ぶことになります。 3.賃料はいくら? 貸付料は区が示した月額1千1百83万円に対して、事業者からは1千15万円の提案がなされており、今後協議されることになります。 4.今後のスケジュール 4年後となる2025年度中の開設となります。 5.岩瀬の意見 コロナ禍の中で事業者が決定したのはよかったですが、専門学校を併設する必要はあったのでしょうか?現在、介護福祉士が不足しているのは事実ですが、それは需要がないのではなく労働条件があまりに酷いからだと思います。本来であれば区としても環境を改善させるよう力を尽くし、そのうえで病床を増やすことの方が必要なのではないでしょうか。今後の展開についてもしっかりと目を向けていきたいと思います。
先日の委員会で、コロナを受けてひとり親への練馬区、東京都、国からの支援について報告がありました。ひとり親への支援が行われること、そのことは評価できます。しかし私が許せないのは、練馬区と東京都の支援では最も必要な方、障害を持つひとり親には支援が届かない仕組みになっていることです。 練馬区と東京都が支援の対象とするのは、児童扶養手当を受けている方なのですが、現在の法律では、障害年金等をもらっている方は児童扶養手当を受けられない、という仕組みになっています。ですので、障害を持ちながら頑張って一人で子どもを育てている方は今回の支援の対象にもなりません。本来はこうした方こそ、行政が何としても支援すべきです。 この法律自体問題があり、来年からは障害年金と児童扶養手当の両方を受けとることが可能になります。国の支援では、児童扶養手当を受けていない方も支援の対象となっています。しかし、練馬区と東京都は、なぜか児童扶養手当を受けている方のみを対象としています。 私のもとに届いた声をご紹介します。 「コロナを受け、練馬区からひとり親世帯に対して5万円のお金がもらえると伺いました。これで助かる、と思ったら対象になるのは、児童扶養手当をもらっている方だけ。障害で年金をもらっている私は対象になりません。なぜ私達はいつも見捨てられてしまうのでしょうか? 困窮度が深まるほど、差別が放置されてしまいます。せめて区に対して、言いたい事は言おうとすると、たらい回しと全力の拒否、外野の心無いヤジに晒されてしまいます。しばらく恐怖で区とも話せませんでした。少数派は国では広すぎて見落とされ自治体レベルでは国の方針を踏襲して見過ごされます。なんとかしてください。」 区に対応を求めた所、「区の支援については、なるべく早く支給するために、既に把握している児童扶養手当の受給者に絞らざるを得なかった。またひとり親の方には様々な支援もある」といったことです。しかしそれは理由になりません。障がいを持ちながら、ひとりで子どもを育てている方のご苦労は想像を絶すると思います。その思いにお答えすることができず本当に申し訳ないです。議会で引き続き訴えていきます。
オランダでの滞在、最初に訪問したのがアンネフランクの家。初めて「アンネフランクの日記」に出会ったのは小学校高学年の夏休み。自分と同世代の女の子がナチスに捕まって殺される恐怖を日々感じながら屋根裏で生活せざるを得なかったこと、そしてその中にあっても小説家になる夢や戦争が終わる希望を持ち続けていたこと。たまたまユダヤ人に生まれただけで迫害を受けることに、ものすごい衝撃を受けました。戦争が日常をどれだけ破壊するかを初めて知り、それが今の私の活動の原点にもなっています。 公開されているアンネの家は1942年から約2年間、ナチスの迫害から逃れるため隠れ家として住んでいた家を利用したものです。外装は改装されていましたが、内部は本棚の後ろに隠された扉やそこに続く隠れ家などがそのまま再現されていました。お父さんの事務所の中に作られていたということで、外に音が漏れないよう朝8時半を過ぎると音を立てないよう声を潜め、トイレを流すことも儘ならなかったとのこと。一番印象的だったのは彼女の部屋の壁に貼られていた大好きな俳優などの写真の数々。日常の楽しみを思い出すことが彼女を支えていたのでしょう そしてもう一つ印象的だったのが自分の命を危険にさらしながらも、彼女たちを匿い続けた人々のことです。支援者の一人、ミープ・ヒースは「人間として当然のことをしただけ」と。 アンネは、これほど辛い環境にいながらも「たとえ嫌なことばかりでも、人間の本性はやっぱり「善」なのだということを私は今でも信じている。」と書いています。もし同じ環境に陥ったとしたら私は同じことをできるだろうか、と、改めて考えていました。 アンネの有名な言葉「わたしが私として生きる事を許してほしい。」、それは現在でも大きな課題として残っています。地域の中でもヘイトスピーチをはじめ、それぞれのあり方を否定するような言動が増えています。規模やレベルは違えど、改めて、自分の持ち場で差別に取り組まなければと思いました。
金曜から定例会が始まりました。今年最後の定例会、気合を入れて臨んだところ、初日の朝にぎっくり腰に…。 これまで何度か経験しましたが、今回が一番ハード。最初は、「なんだか腰が重いな…」というくらいだったのですが、議会で座っているとだんだんと脂汗が…。これはヤバい、と慌てて友人の田辺ちあきさんの鍼灸院に助けを求めます。区役所から診療所まで通常は5分程度、それが永遠の長さに感じます。自分がケガをして初めてわかるのですが、練馬もこんなに細かい段差が多いのですね。でも、エレベーターを待っていたら、知らない方から「大丈夫?」と声をかけられて「この薬は効くのよ!」と突然不思議な錠剤をいただけたり、皆さんのやさしさに触れることもできました。 その後、施術を受けて少し楽になり、なんとか家に到着。着いた瞬間、「パパ―、鬼ごっこしよー!!」と抱きついてくるのを「だめーーーー!」と鬼の形相で止めるわたし。あまりの迫力に固まる息子。「どうしたの??」と聞くので、ぎっくり腰について「英語では魔女の一撃っていうくらい痛いんだよ」説明。すると魔女の部分だけわかったらしく「こわいーーー、パパ死なないでね!!」と泣きそうになりながら、抱きついてくる。「ぬぬぬ」声にならないうめき声をあげながらも息子のやさしさにほっこりした私でした。しかし痛いです…
今度の日曜の「大泉で「戦争」を考える」を前に、様々な展示品が集まっています。今日お借りしたのは、戦時中の絵本や双六などのおもちゃの数々。「めんこ」では、国の秘密を探る悪者を防謀する、といって子ども達がスパイを探したり、双六の上りが「南京陥落」だったり、遊びの中にも戦争が当然のように含まれていることが目の当たりに。多くの展示があり、実際に手に触れられるものもありますので、ぜひお越し頂き、身近に感じていただけたらと思います。
東日本大震災から7年、練馬で行われた原発反対のデモに参加しました。 地震の発生した14時46分、皆さんと黙とうをささげながら、7年前のことを改めて思い出しました。当時はODAのコンサルをしていて、職場のあった東日本橋にいました。スーツに革靴のまま、7時間かけて大泉へ歩いて帰り、これからどうなるんだろう、と家族のことを考えていたら、すぐにミャンマーやウガンダから日本に難民として逃げてきた人たちが「東北に支援に行きたい。自分も同じような思いをしたからわかる」と次々と申し出て行動に移す姿に、私も何かしなければ、とハッとさせられました。 その後、ボランティアとして妻や外国人の仲間と石巻へと向かいました。 現地の光景、はっきり覚えています。津波によって破壊された瓦礫の山が広がり、それぞれの家の玄関だったところには、人形だったり、包丁だったり、様々な思い出の品が置かれていました。 現地での活動は、津波の被害を受けた家を壊すというものでした。担当した家は、前年に建てられたばかり、外国人と一緒の私たちに対して、所有者である奥さんが感情を殺しながら、この壁紙はどんなこだわりがあるとか、この床を選ぶのは大変だったとか、説明をしてくれた後に、ハンマーで全て叩き壊す。私も友人も涙を拭きながら作業をしていました。それからもう7年。 先日、「ダキシメルオモイ展」で、原発事故によって避難している方のご経験を伺いました。彼女は私と同年代、事故の後、お子さんと二人で練馬まで逃げてきて現在に至るそうです。事故によって仕事も失い、家族もバラバラになったとのこと。声を詰まらせながら「最近テレビでよく『311を忘れない』と言っているけど、できることならもう忘れたい。過去のものにできればどんなにいいか」と絞り出すように話していたのが印象的でした。 復興庁が2018年1月にまとめた震災による避難生活者の数は約7万5000人。この2年で10万人以上減りましたが、プレハブ型仮設住宅での生活を余儀なくされている被災者が約2万人いるとのこと、また、親戚、知人宅に身を寄せている避難者も約2万人に上るといわれています。こうした中、震災後の避難生活による体調悪化、自殺などによる「震災関連死」は、この2年で200人余り増えているとのことです。 一方で、昨年には「自主避難者」への住宅無償提供を打ち切るなど、被災者の方々は厳しい状況を余儀なくされています。練馬区でも、多くの避難者の方が生活しています。自治体として、しっかりと彼らの暮らしを支えていくことの必要性とともに、子ども達のためにも原発の無い日本を築いていくことが重要だと改めて感じました。