ブログ

ブログ2019-04-15T11:24:26+09:00

【オランダでの滞在】LGBT先進国 オランダと練馬の違いを実感…。

世界で最もリベラルな国の一つと言われるオランダ。

滞在中に現地の専門家からLGBTの政策について案内してもらいました。
オランダでは1998年に パートナーシップ制度 が認められ、2001年には世界で初めて法律で 同性婚 を認めています。この点だけ見ても、いまだにパートナーシップ制度すら認めようとしない練馬区とは20年以上の差がついています。2005年には同性カップルによる養子縁組も認められていて、国民の90%以上がLGBTに対して肯定的に考えているという調査結果が出ています。同性婚の方の代理出産などにも国から補助金がでるとのこと。国際NGOが行った調査でもオランダは世界で最もLGBTにフレンドリーな国の一つに選ばれています(同じ調査で日本は55位)。

とはいえ、常にLGBTに社会が寛容だったわけではなく、その権利を勝ち取るために多くの運動や戦いがあったとのこと。1800年代にはナポレオンにより占領され、その中でソドミー法が成立。同性婚は厳しく罰せられました。その後のナチスによる侵攻の中で同性愛者はユダヤ人とともに迫害を受け、多くが強制収容所でも亡くなっています。

こうした経緯を踏まえ、戦後にはナチスによる殺害を追悼する世界で初のモニュメントとして「 #ホモモニュメント 」が建てられています。性的マイノリティでオランダに移住された方は言っていました。、「オランダに来て初めて日本ではどれほど自分の人権が守られていなかったか実感した」と。「日本では友人に恋愛の悩みも話せない。大切な人と手を繋いで歩くこともできない。結婚しないと出世にも関わる。子どもがいないと一人前じゃないと言ってくる人もいる。」そんなことが当たり前ではないと初めて腑に落ちたとのことです。日本でも微力ながらも何とか当事者の方が自然に自分らしく暮らせる環境をつくるために頑張りたいと思います。

【 アンネフランク の家の訪問】「私が私として生きることを、許して欲しい。」

オランダでの滞在、最初に訪問したのがアンネフランクの家。初めて「アンネフランクの日記」に出会ったのは小学校高学年の夏休み。自分と同世代の女の子がナチスに捕まって殺される恐怖を日々感じながら屋根裏で生活せざるを得なかったこと、そしてその中にあっても小説家になる夢や戦争が終わる希望を持ち続けていたこと。たまたまユダヤ人に生まれただけで迫害を受けることに、ものすごい衝撃を受けました。戦争が日常をどれだけ破壊するかを初めて知り、それが今の私の活動の原点にもなっています。

公開されているアンネの家は1942年から約2年間、ナチスの迫害から逃れるため隠れ家として住んでいた家を利用したものです。外装は改装されていましたが、内部は本棚の後ろに隠された扉やそこに続く隠れ家などがそのまま再現されていました。お父さんの事務所の中に作られていたということで、外に音が漏れないよう朝8時半を過ぎると音を立てないよう声を潜め、トイレを流すことも儘ならなかったとのこと。一番印象的だったのは彼女の部屋の壁に貼られていた大好きな俳優などの写真の数々。日常の楽しみを思い出すことが彼女を支えていたのでしょう

そしてもう一つ印象的だったのが自分の命を危険にさらしながらも、彼女たちを匿い続けた人々のことです。支援者の一人、ミープ・ヒースは「人間として当然のことをしただけ」と。
アンネは、これほど辛い環境にいながらも「たとえ嫌なことばかりでも、人間の本性はやっぱり「善」なのだということを私は今でも信じている。」と書いています。もし同じ環境に陥ったとしたら私は同じことをできるだろうか、と、改めて考えていました。

アンネの有名な言葉「わたしが私として生きる事を許してほしい。」、それは現在でも大きな課題として残っています。地域の中でもヘイトスピーチをはじめ、それぞれのあり方を否定するような言動が増えています。規模やレベルは違えど、改めて、自分の持ち場で差別に取り組まなければと思いました。

Load More Posts