練馬での3.11 多文化共生、原発問題、部落問題を考える

東日本大震災が発生して6年。 地震の後、妻や外国人の友人と石巻にボランティアへ行きました。私たちが訪問したのは、建てたばかりだったのに津波にあって、もう住めなくなってしまった家。奥様がこの壁紙はここで取り寄せて、この天井はこんなこだわりがあって、と説明を伺いながら、その壁を一枚一枚ハンマーで壊す。そんな作業をしながら、地震によって一人ひとりの生活がこんなにも変わってしまうことに衝撃を受けたのを今でもはっきり覚えています。 311を迎えて安倍首相は、震災から6年が経って、「節目を迎えた」としてこれまで毎年行ってきた会見を打ち切りました。しかし、現在でも全国で12万人以上の方が避難生活を続けていて、決して終わった話などではありません。 練馬区では昨日、震災に関連して多くのイベントが実施され、私もできる限り参加させていただきました。 一つ目は、武蔵大学のアンジェロ・イシ教授(社会学部)にご招待いただいた武蔵大学の白雉映画祭。ご自身も日系ブラジル人ということもあり、多文化共生に力を入れています。今回の映画祭では、311をグローバルな視点から見つめることをテーマにしており、日系ブラジル人の生活を描く「軌跡 在日ブラジル人の25年」というドキュメンタリーを見ました。この中では、南相馬でボランティアをする日系ブラジル人が登場したのですが、彼女は日本語は6語しか話せない、でも、大切なのは「向き合って心で話すこと」という考えで、活動を続けています。彼女は日本に来た時は、様々な差別を受け「ブラジルでは日本人として育てられたのに、日本に来て、自分が日本人でない」と感じ、来日したことに大変な後悔をしたそうですが、今はボランティアとして自分が誰かの役に立てていること、それが一番で、もしここで死ぬとしても、何の後悔もないとのことでした。 その後、ダッシュで練馬に行って「ねりまでもデモ」に参加。こちら、311にあわせて毎年、原発反対を求めて行進するもので私もできる限り参加してきました。今年は特に、自主避難者への住宅扶助が打ち切られるということへの反対を250名(主催者発表)の皆さんとともに、プラカードを持って練馬駅の周辺を行進しました。 そして、もう一度江古田に戻り、今度は部落問題を取り上げた映画「ある精肉店のはなし」(https://www.seinikuten-eiga.com/)の纐纈監督のお話を聞いてきました。監督いわく、「一番問題なのは、傍観者になってしまうこと」。それが部落問題だけではなく、外国人、原発や辺野古基地の問題など、すべての課題を象徴している気がしました。 それが終わってようやくお昼、といってももう6時。慌てて、近くのラーメン屋さんでかきこんで、私が属する「市民の声ねりま」の運営委員会へ。そこで皆さんと議会で起こっていることなどディスカッションをして、終わったのは10時。 寝ている息子のほっぺにチューしながら歯も磨かず爆睡しそうになりましたが、新たな学びがたくさん得られた一日でした。

部落差別は決して過去のものではない。練馬区人権セミナー「東京で部落差別と向き合う」同世代の方から話を伺って。

練馬区の人権セミナー「東京で部落差別と向き合う」に参加しました。講師は東京で部落問題について当事者として情報発信・啓発活動を行っているBURAKU HERITAGEのメンバー。(https://www.burakuheritage.com/) 同世代の彼女のお話、とても印象的でした。 お父さんの妹さんは、結婚の時に相手の家族から、「部落出身の親戚とは縁を切れ」と言われて消息不明になってしまった。彼女自身も中学生の時、学区域にあった企業が部落出身者に対して就職差別を行っていたことが新聞で取り上げられ、大変なショックを受けたとのこと。そんな中、一番辛かったのが、友人に部落差別の話をしても、「部落って何?今でもそんな差別があるの?」と、存在しないことのように扱われてしまうことだったそうです。 データを見ても、部落問題はなくなっていないばかりか、むしろ深刻化しています。東京都の調査では、「同和地区」出身者との結婚に関して、「家族や親せきの反対があれば結婚しない」、あるいは「絶対に結婚しない」という回答、平成11年には4.8%だったのが、平成26年には13.7%にまで増加しています。 練馬区の調査でも、「あなたのお子さんの結婚相手が「同和地区」出身の場合、あなたはどうしますか?」という問いに対して、「賛成する」と答えた方は、たったの24.5%でした(平成25年)。 特に近年ではインターネットの普及によって、部落差別を助長するような、住所や氏名などの個人情報が勝手に公開されたりして、ご自身や仲間のご自宅にもひどい嫌がらせの手紙などが送りつけられるとのこと。私も性的マイノリティや外国人の人権問題を訴えたところ、嫌がらせの手紙が届いて恐怖を感じたことがある中で、とても他人ごととは思えませんでした。 彼女の差別への向き合い方にも共感しました。ご自身が活動する中で、何人もの方に言われたのが「部落問題、そのうち知っている人もいなくなるし、何もしない方がいいんじゃないの?」という事だそうです。「寝た子を起こすな大作戦!」と呼んでいましたが、それに対して「この考えは、一見正しいことのようにも見えますが、でも、それは今、差別を受けている人に我慢してろと言っているのと同じ、だから、私は黙らずにしっかりと向き合う」とのことでした。 それでは、何が大切か。それは、どんな差別に対しても同様で、講師の方も仰っていましたが、当事者だけでなく、一人ひとり、社会全体がこうした差別を許さない、という覚悟や態度を勇気をもって明確に示すことだと思います。 練馬区でも平成27年ごろから、公共施設における差別的な落書きが急増しています。 部落差別解消法が昨年にようやく制定された中で、練馬区においても、法の理念が実現されるための具体的な施策を図るよう、議会でも訴えていきたいと思います。

予算特別委員会 練馬区の多文化共生、ついに一歩前へ

海外から日本に戻って、最も実現したかった事の一つ、それが、地域で国籍や民族などの異なる人々が互いの違いを尊重し、地域社会の一員としてともに生きる、多文化共生社会を実現することでした。 家の前にスコットランドの方が住んでいます。いつもユーモアがあって楽しい仲間なのですが、ある時、「20年以上も日本に住んで、税金も納めているのに、未だに住民として見られないで、いつまでたってもガイジンなんだ。」と悲しそうに話していたのが印象的でした。 こうした状況を改善するため、外国籍区民等の意向や要望をしっかり受け止めて区政に反映させる仕組みを作ることを、求め続けてきました。それが、ようやく実現に向けて動きだしました。 練馬区は、2012年に「練馬区国際交流・多文化共生基本方針」を作りました。この中で、「多文化共生事業の推進を図ること」を目的に、区民や区内の団体、外国人を構成員とする連絡会を設置することを掲げていましたが、全く進んでいませんでした。そこで、議会で何度も連絡会の設置を求めてきましたが、今回の委員会で終に、3月に準備会を起ち上げ、4月から連絡会を設置することが報告されました。 長いこと求め続けて、ようやく実現したこと、感慨深いものでした。 しかし、連絡会の役割をどうするかなど、まだまだ課題もあります。連絡会では、ただの情報交換ではなく、教育、福祉、防災など、幅広く扱うこととともに、外国人向けのウェブサイトの検証なども行うべきと主張しました。外国人区民を基本とした会議体とすべきとも訴えました。 川崎市や新宿区などでは「外国人市民(区民)会議」が設置されています。練馬区での連絡会も、外国人もともに生きる地域社会づくりのパートナーと位置付け、区政の多文化共生の仕組みとして機能させることを求めていきたいと思います。

東京で部落差別と向き合う 人権セミナーのご案内

部落差別は決して過去のものではありません。 世界的にヘイトスピーチが深刻化する中、練馬区においてもこの数年間、特に公共施設での差別的な落書きの件数は急激に増加しています。部落差別に関するものも残酷さを増しています。 そんな中、練馬区男女共同参画課が3月8日(水)の18時半より、人権セミナーを実施します。 東京で部落問題についての情報発信・啓発活動を行っているBURAKU HERITAGEメンバーの上川さんの講演を通じて、差別の実態や当事者の苦悩を知るとともに、部落差別をなくすために私たちに何ができるのか考えます。 私も参加します。ぜひ皆さまもご参加ください!! http://www.city.nerima.tokyo.jp/kusei/keihatsu/jinkendanjo/jinken/event/0170123101603268xxx.html

2018-08-21T09:41:41+09:002017年2月7日|Tags: , |

アメイジンググレイスと練馬区の差別について

土曜日の今日、光が丘の清掃工場の建て替えに関する地域説明会に参加した後、いつも通っている地元の大泉教会での「春をよぶコンサート」に参加しました。こちらのコンサート、地元の合唱グループが普段の練習の成果を披露するもので、大泉教会の「讃美歌歌い隊」、東大泉の「みどり広場」を守る会の「はらっぱ音楽隊」、そして施設、病院、作業所などで活動している「にしきみ音楽グループ」が参加しました。 私の大好きな「世界に告げよ」や、中学生の頃歌った「大地讃頌」「小さな木の実」など、聞いたことや歌ったことがある曲ばかり。一緒に歌ったり、踊ったり(?)、とても楽しませていただきました。そのなかで、印象的だったのが「アメイジンググレイス」。 この曲の作詞者、もともとは奴隷貿易に携わっていたのですが、改心して牧師となり、その時の悔恨とそれを許してくれた神の愛への感謝が歌詞になっています。私も家族も大好きで結婚式でも家族で一緒に演奏(皆がかろうじてできる楽器を演奏したのですが、謙遜なしに下手くそでした、笑)をしました。 最近ではオバマ前大統領が、黒人の方が多く通う教会で発生した、無差別銃乱射事件の犠牲者に捧げ、そして人々の団結を訴えるために自ら歌っています。 (http://www.huffingtonpost.jp/2015/06/28/obama-lead-a-powerful-rendition-of-amazing-grace-_n_7684010.html) 大統領が人種間の和解や多様性の尊重を訴えたわずか半年後、人々の憎悪や怒りをあおることでトランプ政権が誕生してしまいました。就任後、わずか数時間でホワイトハウスの性的マイノリティに関わる記述が全て削除され、スペイン語のサイトも消されてしまいました。難民の受入をすべて停止するとも宣言しています。壁を建設してもビザ発行を停止しても、国を出ざるを得ない状況にある人たちは止められず、費用対効果は少ないばかりかかえって危険な状態をつくりだします。一方で、世界で100万人以上の女性がトランプ大統領のこうしたやり方に反対の声をあげたこと(Women's March)、まだ希望もあると思います。 その後、練馬区の部落解放同盟の旗開きに参加しました。旗開きでは区内のヘイトスピーチや差別的な落書きの事も話題に。昨年来、区内における差別的な落書きは大幅な増加を見せています。先日調べたところ、平成28年度に発見された公共施設への差別的な落書きは合計で14件でしたが、今年度は12月の時点ですでに17件。内容も外国人、そして部落差別を扇動する悪質なものが多く見つかってします。特に、沖縄の高江での機動隊員が「土人」と発言したことを、政府が差別ではないと発表してから、落書きにも「土人」という表現が見られるようになっています。 昨年はヘイトスピーチ対策法や部落差別解消推進法などの法律もできた一方で、理念法であるという課題もあります。これを具体化するのは、まさに地方自治体の仕事であり、これからも条例の制定を含めた具体的な対策を求めて議会でも訴えていきたいと思います。

トランプ大統領就任演説に思うこと 練馬区で私たちにできることは?

トランプ大統領の就任演説、英文の原稿を読みました。 大統領の就任演説、それぞれの個性や思いが込められていて、ブッシュ大統領の時以来、毎回チェックしていました。 最初の印象は、随分短いな…というもの。調べてみると彼の演説は合計で1466語で、近年の大統領の中では最も短く、直近の大統領では1977年のジミーカーター(1229文字)以来となります。ちなみにオバマ大統領の演説は2,406文字でした。 そして内容も、”Make America great again!” 「アメリカを再び偉大にする!」、”it’s going to be only America first”「アメリカだけを第一とする!」といった扇動的で短い言葉が並んでいます。今までの政治家の在り方に辟易した人々に訴えているのでしょうが、選挙キャンペーンが終わっても、まだこれか・・・とがっかりでした。 今回トランプ大統領が所信表明演説で歴代大統領としては、初めて用いた言葉のリストを見ましたが”disagreement(不一致)”, “disrepair(荒廃・破滅)” “sad(悲しみ)” “tombstones(墓石)” などの言葉が並んでおり、ここにもアメリカの分断を象徴しているのではないでしょうか?http://www.dailywire.com/news/12622/how-does-trumps-inaugural-speech-stack-numbers-aaron-bandler) こうした言動に対して、アメリカに住む友人は「トランプはいままで公にいう事が恥ずかしいとされてきた差別的な表現をあえて多用することで、それを言ってもよいのだというライセンスを人々に与え、憎悪や分断を高めている」と嘆いています。 しかし、こういった大統領が勝ってしまう状況があるのは動かせない事実。トランプが勝つなんてジョークだと言って真剣に取り合わなかった民主党やリベラル派(私たちも含め)の訴え方や行動にも、十分責任はあり、それに向き合って正すべきところは正さないといけないと思います。 また、大統領が就任して1時間後にはホワイトハウスのウェブサイトから性的マイノリティの人権に関するページが全て抹消されました。http://www.huffingtonpost.jp/techcrunch-japan/web_lgbt_whitehouse_b_14325296.html?utm_hp_ref=japan 他者や異なるものへの不寛容がアメリカをはじめ、世界に広がりを見せる中で、ここ練馬区においても昨年来、外国人の方に対する差別的な落書きが急増しています。 こうした中だからこそ、レディーガガが訴えた言葉、”Love trumps hate!”(日本のマスコミは“トランプ大嫌い!”と誤訳したようですが…”愛は憎しみを打ち負かす”という昔からあるイディオムです)のように、異なるものへの理解と寛容こそが社会の発展につながると信じて、地域における性的マイノリティや外国人の人権保障を含め私自身ができることを続けていかなければと改めて思いました。

早稲田大学での授業

先日、早稲田大学の社会科学部で授業を行いました。 早稲田大学の理事で社会科学部の教授でもある畑恵子先生にゲストスピーカーとしてお招きいただいたもので、昨年に続いて2回目。先生はラテンアメリカ研究の専門家で、授業のタイトルは「ラテンアメリカ研究2、民主化と開発」。大変人気のある授業で、今期は3年生と4年生、240名が受講しているとのことでした。 お話を頂いてから、90分で何をお話しようか、色々と考えたのですが、その中で、自分が同じ世代だったころ、就職活動をはじめとして、将来のことですごく迷い、悩んでいたんだった、と改めて思いだしました。そして、私が受講生だったとしたら、自分がどうやったら国際協力や多文化共生に関われるか、その方法を知りたかっただろうな、そう考えて授業に臨みました。 そこで、授業ではラテンアメリカを中心に途上国での援助の実情をお話するとともに、私自身の経験についても去年よりも具体的に話をしました。なぜ学生時代にエクアドルへ留学したか、なぜ3年で会社を辞めてボランティア(青年海外協力隊)に飛び込んだか(途上国の現状を知る中で、自分だけが日本で傍観することに耐えられなかった)、そして、開発コンサルタントとしてどんな仕事をしてきたか、そのうえで、どんな思いで練馬区議として活動しているかなどを正直に伝えました。 同時に、身近でできる国際協力として、難民が働くネイルサロン(ARUSHA)や、難民が経営するレストランの利用、ユニクロに使用済みの服を返却すると難民キャンプへ寄付されること、難民アシスタント養成講座等、様々な例を紹介しました。 授業では就活中なのか、リクルートスーツを着た方も多くいましたが、皆さん真剣に耳を傾けてくれて、授業の後に「自分は民間企業への就職が決まったけれど、これで自分の夢だった国際協力とは離れてしまうのか、とも思っていました。でもお話を聞いて、そうじゃないことがわかり少し楽になりました。」といって下さる方も。 学生と向き合うことで私自身も刺激を受ける、貴重な経験をさせていただきました。

2018-08-21T09:41:44+09:002016年12月21日|Tags: , , |

29日の大江戸線勉強会に向けて

今週末(29日)の勉強会に向けて資料の準備。 大江戸線の光が丘から大泉学園町までの延伸は、1972年ごろからすでに検討が始まったとのこと。私が生まれる前に始まった計画の経緯や今後の見通し、課題を皆さんとお話する、そのためには自分がまず理解しなくてはならない、ということで、とりあえず資料を集めてみましたが、あまりにも情報が多い。。整理をしながら、どんなに資料が電子化されても、やっぱり紙で読んだ方が頭に入るな、と書類に埋もれながら妙に納得しました。 都と国が大江戸線延伸に前向きの方針を示したことは歓迎すべきことです。しかし、延伸に向けた動きの中で気がかりなこともあります。大江戸線を招致するためにまちがどう変わるのか、そして練馬区はいくら負担しなければならないのか、といったことです。延伸計画の現状をお伝えするとともに、私たちが感じている不安や懸念も率直にお伝えし、皆さんとお話したいと思います。 参加を希望される方はぜひご連絡をお願いします! 10月29日(土)13時半~15時半、大泉北出張所(大泉学園町4-21-1) 西武バス「北出張所」下車 徒歩2分 キッズスペースあります(託児なし) Tel & Fax: 03-5935-4071 iwasetenerima@gmail.com

2018-08-21T09:41:46+09:002016年10月25日|Tags: , , |

週末の地域での活動

今週末もいくつもの地域イベントに参加しました。 まずは社会福祉法人「つくりっこの家」などが近くの公園で行ったバザー。バザーでは多くの団体が洋服や雑貨、また、被災地で生活する方が作っているエコたわしなども販売しており、私も毎年楽しみに。会場ではペルー人と日本人の素敵なご夫妻とお知り合いになることもできて、地域の中での多文化を実感しました。 翌日、午前中は高齢者施設のお祭りに参加しました。この施設、知り合いの方が屋上庭園の世話をしていて、拝見するのをとても楽しみに。早速屋上につくと、一面、コスモスや百日草など、たくさんの花々が。ビルの屋上、深さ30センチの軽石しかない環境の中でも、丁寧に世話をすることでここまで育つことに感動しました。そこでは里芋も育てているとのこと、収穫にも参加させていただき、久しぶりの農作業(?)にエクアドルでの活動を思い出しました。。 その後、パパ・ママとの懇親会に参加。お祭りで買ったランチを持って、光が丘公園で待ち合わせをしていたのですが、事前に妻と決めていた待ち合わせ場所は「芝生広場の大きな木の下」。しかし、光が丘公園を侮っていました…芝生広場はあまりに大きい。。そして、絶望的なほどたくさんの木が…。さらになぜか妻の携帯にもつながらない…。仕方ないので、一つ一つ木の下を探す私、秋の日差しを受け、皆さんとても楽しい時間を過ごしている横で、修行のような気分に。そして「もうお弁当食べちゃおうかな」と自暴自棄になった時、楽しそうにママ友と過ごす息子と妻の姿が。数年ぶりに家族で再会できたような気持ちを味わうことができました(笑)。 懇親会の後は「避難者と支援者によるふれあいフェスティバル」にも参加。パネルなどで被災地の現状について勉強させていただき、忙しくも有意意義な週末を過ごすことができました。

2018-08-21T09:41:46+09:002016年10月23日|Tags: , , , |

「護憲派の泰斗」樋口陽一先生との再会

本日、大学時代のゼミの恩師、樋口陽一先生とお会いしました。 樋口先生は『「護憲派」の泰斗にして憲法学会の最高権威』(集英社の紹介文)とも称されていて、昨年は妻の大学院の同級生が編集を担当した『「憲法改正」の真実』(集英社)も出版しています。(感想は、http://iwasetenerima.blogspot.jp/…/blog-post_29.html をお読みください) 大学時代は南米やカナダでの留学(遊学?)やバックパッカー活動(?)、そのためのバイトに勤しんでいた私、決して優秀なゼミ生ではありませんでした…しかし、先生は東大を退官し、早稲田に移ったばかりということもあって、ゼミ生が4名しかおらず、先生に毎回、どんな素朴な質問でもできたということは、とても幸せな経験で、今思えば、先生からご指導頂けたことが、政治を志す一つのきっかけにもなったと思います。樋口先生は、決して偉ぶらず、常に謙虚で物腰が柔らかい、人格的にも素晴らしい人でしたが、今も全然変わっていませんでした。 区議になったことを共にとても喜んでいただき、今回、10数年ぶりお会いできました。私がずっと聞きたかったことの一つ。それは、先生はこれまで、憲法を研究する立場として、政治的な発言はなるべく控えるというスタンスを取り続けてきたのに、なぜ安保関連法制への反対のために、これほど積極的に各種メディアや集会で発言をなさったのか?ということでした。 先生の答え、とても印象的でした。「これは私の『義務』だと思ったからです。憲法学者としてだけではなく、すでにこの世を去った私の先輩や仲間たち、そして戦争で亡くなった知り合いの方のためにも、今の動きを止めなければならない、残された時間は限られていても、それはやらなければならないと思いました。」とのこと。静かな語り口の中で、先生の強さを目の当たりにして、鳥肌が立つと同時に、初心に帰れた気がしました。 その後、練馬区で起こっている様々な問題についても1時間半にわたってご相談させていただいたのですが、地方自治体レベルの民主主義におけるアメリカやフランスの例などを挙げながらアドバイスをいただき、勇気づけられました。

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